1982年9月、軍は8月25日のオペレーションにより夫を失った女性らのリストを作成し、一軒一軒訪ね歩いた。軍人らはこの女性たちを「好きにしてよい」対象と見なしたのであった。兵士らは彼女達の家を焼き払い、基地の側に住むことを強要した。それのみならず、兵士らの食事の準備や衣類の洗濯、セックスを命じられた。1度につき、5~10人の相手をさせられたという。
女性達は妊娠しないようにと注射され、何人もの相手をさせられたために出血し、気を失うこともあったという。それでも治療を受けられるはずもなく、身近にある薬草で我慢せざるをえなかった。
軍人らの手を逃れて山に隠れた女性らもいた。しかしそこでは空腹と寒さのために、子供たちが死んでいった。
「軍事サービス」という名の奴隷化は6ヶ月間続いた。フランシスコ・レイエス隊長が基地に囚われていた人物に襲われて負傷し、手当のために基地を離れることがなければ、もっと続いたに違いない。レイエスの後任のオバイエは、女性達を解放した。もっとも、その後和平調印に至るまで、女性達は毎日25ポンドの(10kg強)トルティーヤを提供しなければならなかったのではあるが。
この女性達は和平調印後のいくつもの団体による聞き取り調査にも、口を閉ざして話そうとしなかった。