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最果てへの旅 III

もう少し速く書き進められるかと思ったのですが、今小僧のパソコンをメンテに出していて、そのせいもあってちょっと時間が足りない気味となっています。今日の分までで、全体の半分くらいではないかな・・・。遅くとも今週中には終えたいと思うのですが。

3. イシュキシスでは知る者のないゲリラ

内相フランシスコ・リバスは、ビデオを分析し、情報チームを同地に派遣した上、サン・マテオ・イシュタタン市のイシュキシスの公安当局を増強することを明らかにしている。リバスは検察に近く、ジミー・モラレス(大統領)を取り囲む軍人グループからは離れたところにいる人物である。リバスは他の質問には嫌がる気配を見せなかったが、イシュキシスとゲリラに関する説を再び取り上げると、行く素振りを見せた。「市長や県知事らと話したが、今までに得た情報では、地元住民はFACを支持しているわけではない」。政府がビデオに関わっているのではないかとの指摘にはむっとしたようであった。「そのような指摘については何も知らない。そんな類の関係があるはずがないと100%断言できる」。

グアテマラシティから15時間かけて到着したイシュキシスで、ノマダはリバスの言葉を確認することができた。住民の中にはFACというゲリラらしきグループを支持している者はいない。テレビでゲリラについて取り上げているのを見た者はいた。しかしゲリラを見たことのある者はいなかった。

4月8日金曜日、ノマダが6台の車のキャラバンに参加してイシュキシスに向かっていた時のことである。イシュキシスの前の前の集落では、住民全員が家の外に黙って立ち、訪問者をじっと見つめていた。その顔は不信感に満ち満ちていた。数え切れないほどの坂を通過し、その次の村、ヌエボ・サン・マテオと通過すると、残っているのは最後の下り坂であった。峠からは目的地が見えていた。

イシュキシスに到着した時、キャラバンが到着することを皆が知っていた。それまでの村とは雰囲気も全く異なり、住民らは笑顔で挨拶を交わした。話をしようと待ち構えている人も多くいた。私達は大きな広場で開かれた集会に招待された。後でわかったことであったが、この広場はサッカー場であった。2本の大木により盛り上った小山の周囲に住民らが押し寄せた。

この小山が舞台となり、観衆である住民は訪問者と混ざり合った。住民が静かになるとコオロギの鳴き声が聞こえた。地の果てのコオロギである。

水力発電所に反対するあらゆる村からも人々がやって来た。しかしその場の空気は、発電所に賛成する招かれざる客でもいるかのように重くなっていった。リーダーらは事前に決まっていた通りに集会を進めた。マイクを持つ者の中にはマイクを持つ者の中には、PDHSAと現在のサン・マテオ市長を「侵略者」と呼ぶ者もいた。ある若者は「自分達は好きでここにいるわけじゃない。我々先住民は、常に資本主義のイデオロギーから取り残されてきた」と警告した。

マイクを持つ者は「同胞」と呼ばれている。30代くらいで背が高く、帽子を被った男性が歓迎の辞を述べた。「私達はこんなにも辺鄙な場所にいます。こんな辺居だというのに、国際企業が侵略しているのです」。横断幕の数が増えた。「土地は売るものではない、守るものだ」というメッセージが繰り返された。

ある者にとっては、「辺境」というのは別の場所を指しているのかもしれない。「辺境の村へやってきた遠来の客へ歓迎の辞を述べようではないか」。チュフ語、それに続けてスペイン語で述べられる祈りの前にリーダーが言った。スピーカーから祈りの言葉が流れる一方で、住民らはそれぞれの祈りをてんでに口にした。それはちょうど福音教会派の集会で、参加者がそれぞれの祈りを大声で捧げているのに似ていた。しかしここの大半はカトリックである。大勢が主の祈りを捧げている最中、ある男性はこう祈っていた。「大半の人が戦い続ける一方で、土地を売ってしまった人もいるわけだが」。

サッカー場で何人もの人に尋ねてみたが、FACについて知っている人物はどこにもいなかった。舞台上でゲリラと見られるグループのビデオについて話した人物が1人だけいた。実際のところ、副官のアクセントはイシュキシスの住民のそれとはかなり異なっているということである。緑と黒のシャツを着た50過ぎと見られる男性は、ビデオについて次のように語っている。「副官は企業や政府が軍事化を正当化するための戦略さ」。この男性は自分の名前を名乗った。80年代にゲリラだと糾弾されたことがあると言う。「死ぬなら、手を汚さないで死ぬよ」。

最果てへの旅 II

今日のエントリーは昨日の続きとなります。

2. ゲリラの脅威についての3つの説

辺境の地に緊張が走ると、それに呼応するかのように自然に暴力的な感情が沸き起こる。もし何かが起これば、この地の訪問者にとって逃走は選択肢とはならないだろう。この地に住む者にとってはなおのことである。

2016年4月8日金曜日。ノマダとNGOがこの最果ての地イシュキシスや周辺の村を訪れる数週間前から、この地の緊張は高まっていた。ゲリラの農民武装戦線(FAC)と名乗るグループがインターネットにビデオを2つアップし、プロジェクトへの反対を表明していたからである。

このグループはビデオを公表する以前、3月11日にウエウエテナンゴでビラを配布し、3月28日にはSNSを通じて活動していた。ビデオでは「トレド副官」「ラミレス副官」と名乗る男性2人が話している。もっともこの2人の声は同一人物のものであるようにも聞こえるが、ひょっとしたらそれは録音されているためなのかもしれない。

ゲリラについて様々な情報に当たってみたが、今のところ3つの説がある。一つ目は水力発電所プロジェクトに反対し、闘争を行うグループが実在しているという説。二つ目は水力発電所への投資を妨害するのが狙いであるとする説。三つ目は企業とジミー・モラレス政権による国軍の戦略であるとする説。メガプロジェクトのために重要拠点をコントロールしやすいようにするため、国軍兵士の駐留を正当化するためのものだというのである。

いずれの説も裏付けがあるわけではない。

最初の説は、匿名を条件に地元住民からの情報として教えてくれた専門家のものである。住民らはプロジェクトに反対する近隣共同体の住民間の相違にうんざりし、怒っている。「彼らは自分達を守るために武器を取ったグループであり、ゲリラではない」。

二番目の説を主張するのは企業側と極右のコラムニストである。ロダスによれば、ビデオはプロジェクトに反対するために仕組まれたものだという。「撹乱しようとしている。ウチの会社が地域の軍事化を謀っていると言うが、奴らの狙いは銀行がこれ以上融資を行わないよう、不安定な状況にすることだ」。なおこのプロジェクトは中米経済統合銀行(BCIE: Banco Centroamericano de Integración Económica)の融資を受けている。「地元の人たちはプロジェクトに賛成している。これは外部の人間の仕業だろう。もちろん、地元住民の中にはプロジェクトに過激に反対する人が100人はいるだろう。しかし、恩恵を受ける人は14,000人いるんだ」とロダスは明言する。

極右のコラムニストであるリカルド・メンデス・ルイスは、ビデオが広まった時、このグループはメキシコのサパティスタと関係があるグループだという意見を公表した。ラジオでのインタビューでは、ビデオが広まったのは3月18日であるが、自分はその2日前の16日にビデオを見たと話している。このインタビューでメンデス・ルイスは次のように発言している。「(国内のインディヘナ組織は)工業の発展をシステマチックに妨げている。そう考えれば、ビデオに登場したこの新しいグループが、以前から存在する組織と関係を持っているのではないかという疑問をもつのは自然でしょう」。

三つ目の説は、活動家やその周囲が疑っている説である。エル・オブセルバドールの政治アナリスト、フェルナンド・ソリスは「これはウエウエテナンゴ県北部に企業に反対する武装グループがいると皆に思わせるための操作である。企業を襲う可能性のあるグループが存在すれば、政府は行動を起こす必要が出てくる。軍事化を正当化するための情報操作だ」。

ゲリラと名乗るグループが最初の2つのビデオを公開した後、民間情報庁長官、外相を歴任したことのあるエドガー・グティエレスはエル・ペリオディコ紙のコラム欄に、このゲリラは実際の内戦よりも、2009年5月10日にエドゥアルド・ロダスの友人ルイス・メンディサバルが配布したローセンベルグの自作自演のビデオのような「バーチャルゲリラ」を思わせる、さて、この2つのビデオの間に何らかの関係性はあるのだろうか、と書いている。

(続く)

最果てへの旅 I

ネットメディアのノマダ(Nómada)の記者さんが4月にイシュキシスを訪れた時のことを書いています。わざわざイシュキシスまで行った理由についてははっきりと書かれていないのですが、イシュキシスのゲリラのことを調べるためとイシュキシスの水力発電所の反対運動を取材するため、であったようです。

取材はエルサ・カブリア、美しい写真はカルロス・セバスティアンのコンビで、グアテマラシティから15時間かけて行った時のこと、そして水力発電所プロジェクトを進めている会社の責任者にインタビューした時のことなどをまとめた長い記事ですが、要約するのではなく、今回は私訳で全文掲載してみたいと思います(ライセンスはクリエイティブ・コモンズによる)。長いので、3回くらいに分けてアップすることになると思いますが。

イシュキシスに限らず、水力発電所に反対する地域があることは、前回のエントリーにも書いた通りですが、例えば農場に川の水を引き込んで下流域を枯渇させてしまうようなケースや大量に水を消費し、しかも水や環境を汚染してしまう鉱山とは異なり、水力発電所への反対は今一つはっきりした理由が明確になっていないように思います。もちろん、ダムを作ると下流域の水量が減る、川の流れが変わる、という理由の他に、マヤのコスモビジョン、環境破壊への反対など、確かに聞くべき理由はあるのですが。当然他の地域で大企業が自分達の都合のいいようにプロジェクトを進めてしまい(農業や鉱業)、結果として住民らが被害を被っているケースがあることも影響しているのでしょう。

そんなことを考えながら読んだのですが、レポートの方向はちょっとベクトルが異なっていたようです。

前置きはこの辺までにして、以下、「誰も行きたがらない場所、【ゲリラの地】への旅 (Viaje a donde nadie quiere ir, la región ‘de la guerrilla’)」です。


イシュキシス。メキシコとの国境間近にあるこの小さな集落は、水力発電ダムプロジェクト阻止のために全力を尽くすと公言するゲリラを名乗るグループが3本のビデオを公表としたことでニュースとなった。ノマダは活動家とともにこの地を訪れたが、ここで確かなのは: ここは国からは常に見捨てられた場所であったということ、地元の人は誰もゲリラのことを知らないということ、住民は皆怖がって、そこへ行こうとしないこと、メガプロジェクトは続いているということがわかった。


世界には多くの「最果ての地」がある。その概念は曖昧模糊としているが、ある都市から地図上で物理的にもっとも遠い地点というイメージである。歴史、内戦、政治的無関心、麻薬取引、密輸、メガプロジェクトの圧力。ウエウエテナンゴ県の最北に位置するイシュキシスはこういったものをすべて含めた、正しく地の果てである。

この小さな地域は更に11の集落からなる。グアテマラシティからサン・マテオ・イシュタタン市の中心部まで8時間。イシュキシスはそこから更に曲がりくねった砂利道と魔法にかかったような森の中を通って7時間のところにある。忘れ去られた世界である。

イシュキシスに到達するためには、四輪駆動の車とそこに行こうというだけの動機が必要である。ノマダはウエウエテナンゴ県民協会(ADH)が主催し、いくつかのNGOが参加した車7台を連ねたキャラバンに参加した。当初の予定ではカトリック教会のウエウエテナンゴ司教区や人権擁護局、人権擁護のNGOの中でも規模の大きいUDEFEGUAらも参加する予定であったが、最終的には、状況があまりにもデリケートであり、自分達の身の安全が保障されないとして、この3団体は同行を断念した。

ADHは大企業のプロジェクトに反対し、天然資源の保護を主張する団体である。この団体に協力する地元のリーダーの中には、ウエウエテナンゴ県バリーヤス市のリゴベルト・フアレスやドミンゴ・バルタサールのように逮捕されている人物もいる。

1. 友であり仲間である企業

イシュキシスという地の果てまでやって来るのはマヤの共同体だけではない。NGOもいれば、ビデオを通じて地域住民の権利保護のために立ち上がったと主張する自称ゲリラグループもいる。それに関係の深い水力発電計画もある。

PDHSA(Promoción y Desarrollos Hídricos, S.A.、水力推進開発株式会社)は2007年設立の会社で、代表者はカルロス・エドァルド・ロダス・マルサノである。同社は2017年に再生可能エネルギーによる30MWの発電計画を立てている(国内のエネルギー生産量の7%相当)。既に1億ドル以上を投資しているが、様々なトラブルや自称ゲリラの勃発により、この資金を回収できないのではないかと危惧している。

水力発電計画は2010年アルバロ・コロン政権時代に開始し、汚職容疑で逮捕されているオットー・ペレス政権下でも継続された。70年間もの長きにわたり大統領が訪れることのなかったこの地を、オットー・ペレスは2014年に訪れているが、それはメガプロジェクトに反対する地元の住民グループのリーダーを逮捕し、非常事態宣言を行ってこの地を軍事化した後のことであった。

2014年にイシュキシスでPDHSAの重機が何者かに放火される事件があった。その数週間後、ペレス・モリナはこの地に軍の駐屯地の設置を許可した。事件の犯人は未だに明らかになっていないが、駐屯地は今もイシュキシスにある。1982年にはさほど遠くないところにあるサン・フランシスコ農場で、国軍が住民350人以上を虐殺した過去がある。

その事件から34年という時間は経過しているものの、再び緊張が高まっている。

水力発電所のプロモーターであるエドゥアルド・ロダス・マルサノに10区のレストランでインタビューを行った。「何もかも順調だったんだが・・・、バリーヤスで問題が起こった後、いろいろと面倒なことになってしまった」。ロダスが言っているのは、2012年にウエウエテナンゴ県バリーヤス市で、別の水力発電所の重機が焼き討ちされた事件のことである。「あの後、どんどん暴力の渦が大きくなっていった。バリーヤスを止めた、今度はイシュキシスだと言うわけだ」。プロジェクトに反対している住民の中にはイシュキシスにも影響力のあるリゴベルト・フアレスもいる。

ロダスの受け答えはそつのないものであったが、自分の言いたいことを言うという点はきっちりしていた。それ以外のことは一切口にしなかった。席についていた間、もう帰ってくれと7度繰り返した。イシュキシスのキャンプ地で住民が撃たれたからだという。嘘をつくのは好まないといった。「恐らく、私達の投資したものが皆、紛争の元となってしまったのだろう」とも言った。ロダスによれば、同社は地元の3つの地域の23の集落におよそ500万ドルを投資している。その中にはイシュキシスも含まれている。

ロダス・マルサノは自分のことを経営者でPDHSAのプロモーターであると述べている。彼はロドリゴ・ローセンベルグ・マルサノの異父兄弟である。ローセンベルグ・マルサノはCICIGの科学捜査が証明したところによれば、2010年、当時のコロン政権を終わらせるために自分の死の責任は大統領にあると糾弾したビデオを作成し、自分の殺害を依頼した弁護士である。ロドリゴ・ローセンベルグに助言を与えていた人物は2人いる。1人はラジオ番組に出演しており、2015年に愛国党(PP)から大統領候補に立候補した極右のマリオ・ダビッド・ガルシア、もう1人は情報のスペシャリストであるルイス・メンディサバルである。メンディサバルはローセンベルグの埋葬の際にビデオを配布していた人物でもあり、現在はオットー・ペレス政府の汚職組織に関与していた疑いで指名手配中である。

ロドリゴ・ローセンベルグが17歳であった時に、ルイス・メンディサバルを紹介したのは異父兄弟のエドゥアルド・ロダス・マルサノである。エドゥアルド・ロダスとルイス・メンディサバルは親しい友人であったと、2009年にエル・ペリオディコ紙に掲載されたメンディサバルへの最後のインタビューで彼自身が語っている。

エドゥアルド・ロダスは有力者と様々な関係を持つ人物でもある。共同設立者や責任者として参加している15社の中には、元経団連(CACIF)会頭ホルヘ・ブリス・アブララチ、ルイス・メンディサバルの妹であるアナベヤ・メンディサバル・ベルティア、巨大な力を持つカスティーヨ一族のカルロス・エンリケ・マタ・カスティーヨ、オスカル・マタ・カスティーヨ、ホセ・ギジェルモ・マタ・モンテーロスらが関係している。カスティーヨ一族と言えば、国内でのペプシの製造販売を行うCBC(Central American Bottling Corporation)の大株主であり、同社の株主にはビール会社ブラバの社主がいる。

ロダスはPDHSAに資金を提供している人物の名を明らかにしようとしなかった。単に「グアテマラにいるグアテマラ人。身元の確かな人たちだ」と語ったのみで、自分がプロジェクトの中心となっているプロモーターだと説明した。

「国内資本ですか?」
「身元のしっかりした人だとは言えるけれど、お嬢さん、わかるでしょう・・・。女性には愛情も金もすべて渡してはならないってね」。

10分後、再びこのテーマに触れた。今度はマタ・カスティーヨの名前を出してみた。

「身元の確かなグアテマラ人だとおっしゃいましたよね。CBCやそのグループ会社の資本でしょうか。イエスかノーで答えて下さい。」
「何でそんな質問をするんだね?」
「私が質問をします、あなたは答えて下さい。」
「答えられないね。」
「答えられないのですか?」
「何でかって言うとね、底の深い深い話だからだよ。また今度教えてあげるよ。」

(続く)

国境の南側

グアテマラの北部、フランハ・トランスベルサル・デル・ノルテ(Franja Transversal del Norte)と呼ばれる地域は、植民地時代は真っ先にスペイン人が入植したのではないかと思います。現在のイサバル、アルタベラパス、キチェー、ウエウエテナンゴ各県の北部がこの地域にあたるのですが、メキシコのチアパス州との国境に接し、ウスマシンタ川が両国を区切る場所以外は真っ直ぐ伸びる国境が続いています。

グアテマラシティから見ると地の果てに見えるこの地域、何年も前から北部横断道が建設されていますが、一向に終わる気配が見えません。油田もあるこの地域は内戦時の激戦地でもあり、多くの虐殺事件が記録されています。

一方、メキシコ側はこの国境に沿って道路が走っています。国境道(Carretera Fronteriza)と言うらしいこの道路はボナンパク、ヤシュチラン、パレンケと言ったマヤ遺跡を訪れる際に通ります。

個人的には、いつかこの道路をグアテマラの国境に沿ってずっと走ってみたいと思っています。グアテマラ側を走れればもっといいのですが、アクセスがかなり悪いようなのでメキシコ側からアクセスしてみようかと(笑)。そしてついでにパレンケとかも訪れてみる。

この地域、特にウエウエテナンゴ県内では最近水力発電所を巡ってのトラブルが続発しています。そんな地域に、今年の3月、ゲリラを名乗るグループが水力発電所の反対を表明するビデオを2本公開しています。

こちらは最初に公開されたトレド副官のメッセージ。農民武装戦線(Fuerzas Armadas Campesinas)と名乗っています。

搾取をする企業は自分達の土地から出て行け、と言うメッセージですが、「自分達の土地」をイチュキシス(Ixquisis、イシュキシスとも)と明言しているのがポイント。イシュキシスは上の地図で地名が表示されているイシュウイツ(Ixhuitz)の北、メキシコとの国境近くにある盆地の町で、内戦時には軍用滑走路があったそうです。

ここに数年前水力発電所が建設されたのですが、これが住民を二分するトラブルの元になっているらしい。

ただ、ビデオを見てちょっと疑問に思うのは、水力発電所があるのはここだけではないし、同じくウエウエテナンゴ県のサンタ・クルス・バリーヤスではもっと激しいトラブルというか暴動すら起こっているのに、なぜイシュキシス?地元の人だから、ということなのか、それとも・・・。

という話を追いかけてみたいと思います。

18歳になったら

小僧は今日実習2日目で明日は3日目ですが、そんな大切な時期であるにも関わらず、今日は実習終わったらイソイソと着替えてサッカーの試合を見に行ってしまいました。

そりゃあ、応援しているクラブがリーグ戦の決勝に残ったんだから行きたい気持ちはわかるんですけれどもね。

グアテマラのサッカーのリーグ戦ってのは2シーズン制で、前期・後期ともリーグ戦の上位6チームによる短期決戦で優勝者を決定します。なので、リーグ戦通算で1位だったクラブが必ずしも優勝するとは限らない。小僧が応援しているクレマスことコムニカシオーネスはリーグ戦5位だったか6位だったかの滑り込みクラブ。対する相手は今シーズン好調でリーグ戦1位のスチテペケス。ホーム&アウェーの初戦はクレマホーム、グアテマラシティでの試合です。

両者の対戦は20時からで終わるのは22時。そしてお迎えに行くのは私。えー、夜運転するの嫌いなんですけれど。特に最近、エルサル街道は物騒な話を聞くし。

学校の授業がある時期だったら有無を言わせず「ダメ」と言うのですが、今は実習中でとりあえず宿題はなし。とりあえずクレマが勝てば明日はピシッと仕事(というか実習)するのかな。男の子って単純・・・。

あ、でも負けたらどうするんでしょ・・・。とりあえず前半終わって1対1です。

幸い同じくクレマサポの同僚が小僧といてくれるので安心&途中まで送ってくれるので、助かります。いや、コイツが小僧を悪の道?に引きずり込んだ張本人だった、そう言えば(笑)

でも、あと3ヶ月ちょっとで誕生日が来れば18歳で成人。そうすれば自分の責任で夜の試合に行くのだって構わない(問題は、それでも私が送迎しないといけないのかしら、ってことなのだけれど)。クレマのサポーターは時折問題を起こすグループがいるので(ここ数年は大人しくはありますが)、正直言うと心配ではあるのですが、いつまでも子ども扱いしているわけにはいかないですもんね。

それでも2年前でしたっけ、クラシコと呼ばれるムニシパルとの試合(ムニシパルホーム)を観戦に行こうとしたクレマサポがムニシパルのサポーターから暴行を受けて亡くなった事件なんてのもありましたし、集団が熱狂するような場所というのは正直怖いし苦手です。もっとも最近はそこまで盛り上がっていないかも・・・(それにしても、日本のサッカー場ってどうしてあんなに安心していられるんでしょうね)。

18歳で成人して、車の免許とって運転するようになるのも心配だし、サッカー行くのも心配だし、大学行ってちゃんと勉強するのかとかも心配だし、いつになっても心配のタネは尽きないわけですが、これからは大人として扱ってあげないといけないんだろうなー。そういうのって何だか未知の世界です。

もっとも子育てってのは常に未知との遭遇で、生まれた頃からドキドキハラハラしながら一緒にやって来たわけで、そういう関係がこれから変わるわけではないのかも。

それでも小僧が大人になって独り立ちして、一人暮らしするようになったら私はとっても寂しいだろうなー。などとぼーっと考える小僧のいない夜なのであります。

そろそろ後半始まりそう。あと30分もしたら、お迎えに行かねば・・・。

小僧の実習始まる

小僧は今年高卒予定ですが、卒業するに当たって必要なのが実習。しかも200時間。この200時間の実習をこなさないと卒業できません。

グアテマラでは中等教育卒で入手できる資格として秘書、バイリンガル秘書、会計士、看護師などがあります。数年前までは教員もそうだったのですが、今は大卒が要件。いずれも高校相当の課程で専門コースを取ることになっていますが、そういう職業訓練の一環として、この実習があるのではないかと思います。

小僧は普通科ですが日本風に言えば「情報系」。カリキュラムにプログラミングなどが含まれているため、実習も「情報関連」という指定があります。小僧の学校では前期と後期の間にある4週間の中休みに研修をすることとなっています。

さて。3月くらいから実習先を当たってはいたのですが、最終的に決まったのは5月に入ってからでした。今日5月25日はまだ正式には休みではないのですが、今日と明日は授業がないので、大半の子は今日から実習開始。

8時始業なので、学校に行くのとあまり変わらない時間に起きて準備するのですが、今日は初日とあって背広とネクタイ着用です。制服のない学校で毎日Tシャツとジーンズの小僧にとってはかなり窮屈。今朝は車で送って行ったのですが、さすがに緊張していました。

小僧の実習先は私の職場とそれほど離れておらず、終業時間はどちらも17時。というわけで帰りは一緒です。某社のコンピューター室に配属された小僧、今朝はWindowsマシンの初期化とWindows 10のインストールの仕方を教えてもらったそうです。必要なドライブを全てインストールしておくこととか、PCのモデルによって必要なものが異なることとか、とりあえずはそんなことを覚えて初日終了。今日8時間だから、残り192時間。先は長いや。

それでも小僧の年齢の頃に、実際の職場を体験できるとうには結構面白いのではないかと思います。毎日宿題が大変とブーたれている小僧ですが(実際大変そうなのは事実ですが)、自分のためではなく、他者あるいは会社のために言い訳抜きで作業をする環境って、小さいながらも「責任」というものが発生しますからね。

もっとも小僧は初日で「ボクにはオフィスの中に一日中閉じこもってする仕事なんて向いてない」とかつぶやいておりまして、その調子じゃあキミにできる仕事はどこにも存在しないんじゃないの・・・とつい言いたくなってしまうのですが・・・

とりあえずは新鮮な環境で、会社や仕事というものについていろいろと学んできてくれればいいかな、と思ってます。

さて、小僧はいつ200時間を達成できるんだろうか(一応計算では25日必要、ってことになるんですが)。この200時間が有意義なものとなってくれることを心から願っているのですが、さて。

貧困から大統領へ

ジミー・モラレス大統領が貧しい家庭で育ったというのはよく知られた話です。ジミーの人生は実際のところ類稀なサクセス・ストーリーであるのですが、少年時代のジミーを支援していたのがワールド・ビジョンだったというのは私は初耳でした

ワールド・ビジョンというNGOの名前を見聞きしたことのある方もいらっしゃると思うのですが、途上国の子供たちの支援をしている団体です。このインタビューを聞いて、大統領が何かと「政府に全てはできない、一人一人が自分達にできることをやるべきだ」と発言しているのがストンと腑に落ちたのでした。

父を早くに亡くし、母は子供3人抱えて何とか生活できる程度の収入を得ます。幸い資金援助を受けたお陰で小学校はおろか、最終的には大学まで進むことができ、そしてやがて大統領になる。資金援助を受けた子供たちの皆が皆勉強好きではないし、大学まで行ける子はかなり少ないでしょう。でもジミーのケースは、子供たちの支援をしているすべての人がいなければ実現しなかった話でもあると思います。

私がグアテマラに来ることになったきっかけは、フォスター・プラン(最近ではプラン・ジャパンと言うそうですが。国際的にはPlan International)という別のNGOでホンジュラスの男の子を支援していたことでした。ワールド・ビジョンと同様、途上国の子供たちに資金援助をするもので、支援していたマリオに会いに行ったのが、中米初訪問でした。

忘れられないのは、決して裕福ではない人たちが、訪れた一行(女性ばかり7名のグループ+通訳をしてくださったTさん)のために鶏肉を使ったおいしい料理で歓迎してくれたことでした。自分達が普段満足に食べていないのに、遠方から来た客のために貴重な鶏を多分〆て料理してくれたのだと思われ、これほど心の篭ったもてなしを受けたのは私の生涯でこの時だけです。

ホンジュラスを訪問した後、グアテマラで元夫と知り合ったのがこっち側に住むようになるきっかけで、そういう意味ではジミーの人生を変えたのと同様、私の人生も大きく変えてくれたわけで、何だかちょっと感慨深い・・・(しみじみ)

今年2月か3月くらいだと思いますが、ワールド・ビジョンがジミーにインタビューしたビデオがYouTubeにアップされているので貼り付けておきます(ビデオはスペイン語)。

なお、このインタビューについては大統領府のサイトでも触れられています(こちらもやっぱりスペイン語)。

少年時代貧困にあったというジミーには、貧困対策(特に飢餓対策)は本当にしっかり進めて欲しいと期待しているのですが、ひょっとしたらジミーさんは「そういうのはNGOに丸投げした方がいいんだよね」って心の中で思っていたりするのかも。

それにしても、子供時代のジミー君と今のジミーさん、顔つきが本当に違っていますよねぇ。