Monthly Archives: May 2018

念願の資格停止解除

長らくお待たせしました、というかお待たせされていました。

本日、FIFAからグアテマラサッカー連盟(Fedefut)に届いたメールには、「資格停止をただちに解除する」との文言が。

ひゃっほー!!!

何しろ資格停止が決定したのは昔むかしの2016年10月28日のことでした。あれから早19ヶ月。長かったよー。代表はおろか、クラブチームも国際大会に出られなかったのですから。男子、女子、フットサル、ビーチサッカー、その他諸々。世間様にいろいろと置いていかれている感半端ありませんでした。

資格停止が解けたからと言って、間もなく始まるワールドカップはおろか、8月に予定されているConcacafリーグ(北中米カリブ地区のクラブチャンピオンを決めるためのConcacafチャンピオンズリーグの予選みたいなもの)は既に抽選が終わっており、今更参加できません。ダイレクトでチャンピオンズリーグに出られる1枠は、2017-18年シーズンに一番好成績を残したアンティグアが参加することが決まっています。

また中米カリブの各国代表が争うネーションズカップ(北中米カリブ地区の王者を決めるゴールドカップの予選みたいなもの)は3月に抽選が行われており、これも全然間に合っていません。ネーションズカップは9月から始まるんですよね。もう残念なことこの上なしです。

とボヤいていても仕方がない。Fedefutは既に代表監督を任命しており、こちらの方は遅れを取り戻すために間もなく始動していく模様。代表監督は、今シーズン2位のシェラフの監督ワルテル・クラベリ。この方、試合後必ず審判をくさすので、個人的には好きではないのですが、下位に落ち込んでいたシェラを引き取って2位に終わった手腕はお見事でした。なお、グアテマラが資格停止になった時に代表監督を務めていた人でもあります。

折角復帰できたんだから、やっぱり誰かと試合したいですよねー。試合できてない間に、FIFAランキングは落ちる一方で(当たり前だけれど)、現在141位。あら、もっと下がっているのかと思ったけれど、そうでもなかった。

どこかに試合してくれる国ないかなー。ワールドカップの間はどこも相手してくれないんだろうな。でもやっぱり試合見たいぞ。誰か相手してちょ。

モリナ・ティッセン事件の裁判 その4

その1 その2 その3はこちら)

この裁判の後、マルコ・アントニオやエンマ・グアダルーペの母であるエンマ・ティッセン・アルバラードは「国家に対する損害賠償請求は行わない」ことを表明しました。

もっとも、2004年に米州人権裁判所(CIDH)がマルコ・アントニオの拉致・失踪に関して国の責任を認めた時に賠償金を定めていたのですが、確かこれは実際には未だに支払いが行われていなかったはず。

そんなこんなや、「どうせカネ目当てに決っている」という数々の批判のために、損害賠償を断念したのかもしれません。、もっとも、家族の最大の願いは「遺体を見つけること」でしたし、そちらの方は未だに実現しないままとなっています。

さて、損害賠償は請求しなかった家族ですが、他にいくつかの要求を出しており、裁判所はあるものについてはそれを聞き入れるべきとの判断を下しています。

  • 国会は行方不明者捜索計画策定のため、犠牲者登録所の創設と法案3590号を可決すること
  • エンマ・グアダルーペがケツァルテナンゴの軍基地で被った残虐行為に対し、文化スポーツ省はケツァルテナンゴ市と共同で「エンマ・グアダルーペ・モリナ・ティッセン」の記念碑を建設すること
  • マルコ・アントニオが10月6日に自宅から力づくで連れ去られたことを鑑み、大統領は、毎年10月6日を行方不明となった子どもの日と宣言すること
  • 内務省は、内戦時に密かに遺体が埋められた場所についての情報提供者に支払うための報奨金を定めること
  • 国軍は、人道に関わる任務や人権に関する行為で目覚ましい行為を行った士官その他の兵士に対する、モリナ・ティッセン勲章を創設すること
  • サン・カルロス大学は法学部、人類学部、政治学部、報道学部を通じて、この事件についてのドキュメンタリー映画を作成すること
  • 最高裁の先住民局は、マルコ・アントニオ・モリナ・ティッセンの名前で奨学金プログラムを作成すること
  • 国は2004年にCIDHが命じたものの実行されていない賠償を行うこと

聞き入れられなかったのは次のような請願です。

  • 有罪と判断された軍人らを不名誉除隊させること
  • カンポ・マルテ(グアテマラシティにあるスポーツ施設)の名前を変更すること
  • 国は有罪判決を受けた軍人らから総額$690,400を徴収すること

うむ。妥当な感じです。

それにしても、モリナ・ティッセン勲章とか、実際に誰かに授与されることがあるんでしょうか。

CIDHの判決には、国にマルコ・アントニオの遺体の発掘調査を行うことも命じられていました。未だに拉致された後の行方が杳としてつかめないマルコ・アントニオが、いつの日か家族の元に戻ることができるよう願いつつ、この裁判についての記録を終えたいと思います。

 

モリナ・ティッセン事件の裁判 その3

前々回前回はこちら)

この事件の被告5人には、それぞれ別の弁護士がついていました。サルダーニャの弁護士は「検察が唯一証明できたのは、被告がケツァルテナンゴ基地にいたことだけ」、エンマ・グアダルーペに対する拷問やレイプ、マルコ・アントニオの失踪についても「証拠がない」と主張しました。また数人の弁護士はエンマ・グアダルーペが「9日間何も食べず、わずかに水を飲んだだけであったのに、3mの高さの窓から飛び降りたり、氷点下の気温の日に脱走できたはずがない」とも指摘しています。

エンマ・グアダルーペはこの脱走劇について、あまりにも痩せたために手錠から手を抜くことができた、二段ベッドに上って窓から飛び降り、警備員詰所から外へ出たと証言しています。この時、警備にあたっていた兵士は1人だけで、彼女のことを売春婦だと思ったのでした。

エンマ・グアダルーペは裁判の席上、こう証言しています。
「これは実際に起こったことです。被告ら、特にサルダーニャ氏には責任があります。脱走についても、再度事実であると申し上げておきます。(略)

「殺されたわけではありませんが、私の人生はメチャメチャになりました。何年もの間、自分は生きているのに値しないと思っていました。弟は私の身代わりになったのだからと。脱走は私の人生の最大の過ちでした。私が脱走しなければ、弟が拉致されることはありませんでした。

「苦痛と自己嫌悪に満ちた日々を生きてきました、あの人たちには理解できないでしょう、体を侵されたことは一生付いてまとう傷です。(略)

「この裁判で、私たちは真実を述べる機会、実際に起こったことを話す機会を得ることができました。被告人には、恥と恐怖を味あわせたい。私はこの苦悩を取り払うことができないからです。被告人らを憎しみの中に置いておきたいと思います。多くの憎しみがなければ、誰もこんなことはできなかったでしょう。私は正義に値する者です。

「被告人にはわずかであってもまだ名誉が残っていることを希望します、それならばマルコ・アントニオがどこにいるのかを教えてくれるでしょうから」。

5月23日早朝。ハイリスクC法廷の裁判官(パブロ・シトゥムル裁判長、エバ・レシア陪席、エルビス・エルナンデス陪席)は20時間に及ぶ審理の後、被告5人について次のような判断を下しました。

ベネディクト・ルカス・ガルシア 懲役58年
国軍の指揮、組織、規律、風紀の最高責任者として、その指揮下でモリナ・ティッセン家に対して兵士らがとった残虐行為についての責任を有する。

マヌエル・カジェーハス・イ・カジェーハス 懲役58年
部下であるフランシスコ・ゴルディーヨに、グアテマラシティ19区のラ・フロリダにあるモリナ・ティッセン家でマルコ・アントニオを拉致・失踪させることを命令した。

ウーゴ・サルダーニャ・ロハス 懲役58年
エンマ・グアダルーペを監禁し、同人が脱走した時再逮捕と復讐(マルコ・アントニオの拉致)を行うため、情報部と連絡を取り合った。

フランシスコ・ルイス・ゴルディーヨ 懲役38年
ケツァルテナンゴ基地の司令官として、エンマ・グアダルーペの不当逮捕と自分の指揮下にある軍基地で監禁されていること、拷問による取り調べ、個人及びグループによるレイプ、9日間に及ぶ非人道的な取り扱いを承知していたにも関わらず、そのまま放置した。

エディベルト・レトナ・リナーレス 無罪
ケツァルテナンゴ基地の副司令官として、エンマ・グアダルーペに関するオペレーションに関与したことを裏付ける証拠がない。

この項、もう一回続きます。

モリナ・ティッセン事件の裁判 その2

前回の続き)

さて、エンマ・グアダルーペはケツァルテナンゴ軍事基地に拘束され、尋問という名の拷問を受けます。

裁判の争点の一つとなったのは、基地司令官及び副官であったゴルディーヨとレトナが、基地内で起こっていたことを承知していたか、ということでした。検察側は「2人はこれを承知しており、被害者に対する拷問や暴行を止めさせることができる立場にいながら行わなかった」と主張しています。

またサルダーニャは、同基地で容疑者に対する尋問の責任者であり、エンマ・グアダルーペの脱走については上官である情報部長のカジェーハスに報告する義務を負っていました。脱走の報を受けたカジェーハスは、サルダーニャにエンマ・グアダルーペの身柄拘束とマルコ・アントニオの拉致を命令した、と検察は推測しています。

2人の母親であるエンマ・ティッセン・モリナは、裁判の席で見かけたサルダーニャの顔を覚えていました。30年以上が過ぎているにも関わらず、1981年10月6日に自宅にやってきた男の一人がモリナ・ティッセンであったt証言しています。

ルカス・ガルシアについては、「当時の参謀本部長として、四季、組織、命令、規律、行動について責任を負う立場にあった」。

つまり、サルダーニャ以外はいずれもエンマ・グアダルーペにもマルコ・アントニオにも直接手を下した実行犯として起訴されたのではありませんでした。むしろ、人権侵害行為につき、組織として一体どこに責任があるかを問う裁判だったのでした。

5月21日の最終弁論で被害者2人の母親であるエンマ・ティッセン・アルバラドは次のように発言しています。
「あの人たちには、私の息子を連れてゆく権利はありませんでした。息子はまだ14歳だったのです。そんな子どもを拉致するなんて、悪意のある人にしかできないことです、グアテマラでは珍しいことではありませんでしたが。私は、そういったすべての出来事が明らかにされ、しかるべき方法で罰がくだされることを希望します。とりわけ、息子を連れて行ったサルダーニャ・ロハス氏については特別に糾弾せずにはいられません。息子の遺体がどこにあるのかを教えて下さい。以前は、このように話すことができませんでした。このような恐ろしい出来事を前に、泣くことしかできませんでした。でもやっと力を得ることができたのです。行方不明となっている人は未だに45,000人以上おり、5,000人は子どもなのです。このようなことが二度と怒らないようにしてほしいと願っています」。

「忘れないで下さい。この中の一人は私の弟エミルです。36年3ヶ月と13日前から探し続けています。いつの日か、エミルや他のみんなを見つけなければいけないのです」。

この項、まだ続きます。

モリナ・ティッセン事件の裁判 その1

エンマ・グアダルーペ・モリナ・ティッセンに対する拷問・暴行及びマルコ・アントニオ・モリナ・ティッセンの強制失踪について、事件のあった1981年当時軍のトップであったマヌエル・ベネディクト・ルカス・ガルシアら軍人5人の責任を問う裁判は、3ヶ月に及ぶ審問を経て5月23日に判決がくだされました。

被告は次の5人です。

  • マヌエル・ベネディクト・ルカス・ガルシア (Manuel Benedicto Lucas García) 軍参謀本部長
  • マヌエル・アントニオ・カジェーハス・イ・カジェーハス (Manuel Antonio Callejas y Callejas) 軍参謀本部情報部(G2)部長
  • フランシスコ・ルイス・ゴルディーヨ・マルティネス (Francisco Luis Gordillo Martínez) ケツァルテナンゴ基地司令官
  • エディベルト・レトナ・リナーレス (Ediberto Letona Linares) ケツァルテナンゴ基地副司令官
  • ウーゴ・ラミロ・サルダーニャ・ロハス (Hugo Ramiro Zaldaña Rojas) ケツァルテナンゴ基地情報部責任者

検察側の求刑は、エンマ・グアダルーペへの人道に反する罪については被告5人に懲役30年、またこれが公務員による犯罪であったために2/3が更に加算されて20年、マルコ・アントニオの失踪事件についてはルカス、カジェーハス、サルダーニャの3人が懲役40年。すなわち、ルカス、カジェーハス、サルダーニャは合計懲役90年、ゴルディーヨとレトナは懲役50年となっていました。

さて、実際この事件をどう裁くのか、事件と被告らをどう関連付けていくのかは、決して容易な作業ではなかったと思われます。

検察は目撃証人による証言の他、次のような物的証拠を提出しています。

1981年10月6日付けの警察刑事部ほアーカイブ。この日、被害者家族はマルコ・アントニオが警察に拘束されているかもしれないと、人身開示請求を行ったのでした。ここには「刑事部は身柄を拘束していない」と記載されています。これがマルコ・アントニオが拉致され失踪したという家族の証言を裏付ける証拠となっています。

大きな証拠となったのは、80年代の対ゲリラ戦に使われていた「ゲリラとの戦いに関するマニュアル」です。

マニュアルには、政府の政策と異なる思考を持つ人物は「内なる敵」とみなすことが記載されていました。ゲリラに関するビラを持っていたエンマが拘束され、尋問されたのはこのマニュアルに従った手順でした。

このマニュアルは「命令はすべて軍のトップからのものである」ことを示す結果となったのでした。ヒエラルキーの下の方にいる兵士は上官の命令を実施したに過ぎず、その上官は更に上官の命令を下に伝達したに過ぎないと。

そしてベネディクト・ルカス・ガルシアのサインのある1981年10月21日付けの書簡もあります。内容は「参謀本部で前任者が定めた通り、週末には引き続き車輌の検問を行うように」という内容のものでした。

エンマ・グアダルーペはその1ヶ月前、9月27日にバスでグアテマラシティからケツァルテナンゴに向かっていたところ、車輌の検問で拘束されています。

ゴルディーヨの自宅から押収された証拠品の中には、ケツァルテナンゴ基地のオペレーション計画を記したものが見つかっており、ここには検問について記載されていました。またエンマ・グアダルーペが逮捕された時に使っていた仮名であるマルガリータ・チャペトンの逮捕についての報告書も見つかっています。

この項、続きます。

ガソリン価格高騰中

今月に入ってからガソリンの値段が上がり気味となっておりました。それが後半に入ってガガガガガガっと右肩上がり。5月前半までは「原油の国際価格の上昇」が原因と言われていましたが、後半の値上がりはそれ以上に値上がりしているらしい。おまけにアチラコチラの同業他社が同じ値段をつけていて、これは談合に違いない!(by 経済省)んだそうです。

ふーん。でも本当にあちらもこちらも見て回ったら、違う値段つけてるのわかると思うけれどな。同じ地区のガソリンスタンドが同じ値段つけてても不思議じゃないと思うんだけれどな。だってそうじゃなきゃ売れないじゃん。

ついでに、最近ケツァルの対ドルレートが下がってきており、こういうのもガソリンの価格を押し上げている理由の一つなのではありましょう。

ちょっと前までは1ガロン(約3.8リットル)が23ケツァルくらいだったかな?それが今では28ケツァルくらいとなっており、100ケツァルで3ガロンとちょっとしか入らないのでありますね。この違いはかなり大きい。。。もっとも何年か前、1ガロン30ケツァルを超えた時があったと記憶しています。それにしても高いな。

ただ、このガソリン高騰、実は悪いことだけじゃなかったり。

今週、比較的道路が空いていたのですが、これはきっとガソリンが高いから車に乗らない人が増えたからだと思われ。夕方はともかく、朝は本当に交通量が減ったと実感します。おかげでガソリン少しは節約できたりするのかな?だとしたら値段上がってもトントンになる。。。といいな。残念ながらそこまでうまくはいかないのですよね。

ガソリン値上がりが交通量減少の理由だとすると、給料日後あたりはまた渋滞するのかも。もっとも、ガソリン代がどこまで上がるかにもよりますけれどもね。

汚職者のリスト

何やら不思議なニュースがアメリカ方面から流れてきました。

本日24日、アメリカの下院議会は全会一致で国防権限法(National Defense Authorization Act: NDAA)の改正を可決したのですが、それがなんと「中米北部トライアングル(グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル)の3カ国の公職にある人物で、汚職または麻薬取引に関わっている者のリストを180日以内に作成するよう国防省に命じる」というもの。

グアテマラに出自を持つノルマ・トーレス下院議員は「中米の法治国家としての体制強化のために重要な一歩を踏み出した。何年もの間、我が国の民主党議員も共和党議員も、汚職や組織犯罪を撲滅するために働く勇敢な検事、判事、刑事を支援してきた」。「グアテマラのCicig、ホンジュラスのMaccih(ホンジュラスの汚職と不処罰対策支援ミッション)はこのプロセスに主要な役割を果たしてきた」などと述べています。

この改正が成立するためには、上院を通過し、大統領のサインが必要ですが、中米の汚職はアメリカの国防を脅かすのか!とちょっぴり感動しちゃいました(おい)。

現在、この3カ国では、汚職に関連した公務員に対する刑罰を緩和しようという動きがあり、グアテマラでは改正案が国会に提出されるところだったか提出されたんだったか。そういう動きのみならず、Cicigに対するネガキャンを展開するためにワシントンで月額8万ドルをかけて展開されているロビー活動の関係者は既にリストアップされているともトーレスは警告しています。

わーお、アメリカ方面からこんなちょっかいが出てくるとは思わなかったよ。でも内政干渉じゃないものね。後はイスラエル・ロビーがどう動くか、ですかね。さて、ルイス・アレアガも退去勧告出されちゃうんだろうか。

実際にこのリストが作成されると、グアテマラからは100人以上がめでたくリスト入りしそうな勢いです。大統領とか外相とか、みんなビザ取り消されたりしてね?

ついでにこちらは国連事務総長のグテーレスさん。

「国連は汚職と戦う国を様々な方法で支援することができるが、Cicigはその一例である」。

本当にCicigありがとう。