Monthly Archives: August 2013

チマルテナンゴ-エル・テハール II

パンアメリカン・ハイウェイ(CA-1)はチマルテナンゴでは確か2区の3a. Calle(サード・ストリート)扱いになってまして、つまり、市街地の一部ってことですよね。

前回のエントリーのエル・テハールは植民地時代からの煉瓦の町だったわけですが、チマルテナンゴはここ数年でいつの間にか車の町へと変貌してしまいました。ほら。

Chimaltenango

こっちにもずらずら~。

Chimaltenango

あっちにもずらずらずらずら~。

CA-1のこの付近、あっちにもこっちにもこんな感じで車が並んでいるけれど、駐車場てなわけじゃなくて、中古車販売なんですよね。多分、だけれど、これらの車の多くはアメリカから持ち込まれた中古車。アメリカで中古車を買ってグアテマラまで陸路乗ってきて売却する、という商売があるんですよね。グアテマラシティにももちろんたくさんあるけれど、ここチマルテナンゴもいつの間にかそういう商売が増えたんだそうで、ここではピックアップトラックが売れ筋みたい。

同時に車のパーツ販売(こちらも中古パーツ)とかタイヤとかパンク修理とか、車のバンパーにつけるグリルとか、そういう関連産業も華やか。チマルテナンゴ県は土地も豊かで高低さも結構あり、県内でもあちらとこちらでは取れる農作物が違ったりするところでもあります。遠くから買い付けに来る人もいるし、隣町やチマルテナンゴ市まで作物を売りに来る人もいるわけで、バスでもいいけれど、車があったらそりゃ便利、というか、規模によってはやっぱり結構必要なのではないかな。車持ってない人は借りたりとかしてるしね。

この15年でグアテマラシティも変わったけれど、もっと変わったのはグアテマラシティ周辺の地方都市なのかもしれないなーとチマルテナンゴを通過しながら思ったのでした。

こちらは番外編。渋滞の間、ずーっと私達の前にいたのはこのバス。

bus extraurbano

グアテマラのバスはメルセデスベンツばかり!

と言いたいところですが、このベンツマーク、きっとグアテマラ製。ホントにベンツってわけではないし、このエンブレムですらホンモノではなくて、グアテマラのどこかでマークだけ製造して売られているのであります。ご丁寧にMercedes-Benzと書いてあるけれど、ホンモノとは書体が違うような…。まあ気分だけはリッチということか。ベンツのマークって、一番シンプルだしね。

違法と言われれば違法なんじゃないかという気もするけれど…。

チマルテナンゴ-エル・テハール I

今の仕事についた当時はチマルテナンゴに住んでいたので、毎日チマルテナンゴからグアテマラシティまで54kmの道のりをバスで通勤していました。15年ほど前のことですが、朝は1時間半、帰りは2時間くらいかかったかな。これなら一応通勤圏というわけで、同じように毎日通勤している人も結構いたんですよね。

チマルテナンゴはアンティグアにも近く(車で30分ほど)、当然人口はどんどん増えて、お店もどんどこ増えていく。というわけでチマルテナンゴ付近の渋滞は数年前からどんどん酷くなってまして、市街地だけの渋滞ならまだいいんだけれど、渋滞しているのはケツァルテナンゴやメキシコ国境へと繋がるパンアメリカンハイウェイ(CA-1)。そんなわけで渋滞解消のために立体交差が造られたのが2年前だったかな。ところが一体どこで計算を間違えたのか、立体交差ができても全然渋滞は解消されるどころか、本線が立体交差で結構急な上りになってることもあって、ひょっとして悪化してね?という状態。今チマルテナンゴからグアテマラシティまで通勤しようとすると、サン・ルーカスでの渋滞もあるから両方合わせて少なくとも30分は余計にかかるんじゃないかな。首都圏の渋滞も酷くなっていることを考えると、片道2時間じゃ足りないってことなのかも。東京みたい…。そんなわけで今度はバイパス建設案が出ていますが、いつになったら実現することやら。

さて今日はグアテマラシティの祝日だったので、チマルテナンゴ方面へと行ってきたのですが、祝日じゃないチマルテナンゴは平日の渋滞。チマルテナンゴの隣町、エル・テハールの手前から5kmくらい渋滞だったような…。CA-1はテクパン(85kmくらい)まで片側2車線になってるのですが、唯一このエル・テハール-チマルテナンゴ間が片側1車線。元々人口の多いところで道路脇にびっしり家とか立ち並んでいるから、簡単には立ち退きできないということなのかな。

ノロノロ運転のお陰で撮れたのがエル・テハールの煉瓦窯。道路脇にいくつも並んでいます。

El Tejar

エル・テハールは煉瓦の産地で、植民地時代のアンティグアの建物にはここの煉瓦が使われていたといいます。今も煉瓦で家や塀を造ることもあるし、屋根瓦やタイル代わりにも使われていたり。というわけで形も結構バリエーションがあるんですよね。

El Tejar

左側のが窯。窯ももちろん煉瓦製。色が違う部分は日干し煉瓦かな。火が入っている時は上の隙間からもうもうと煙が上がります。

私みたいにたまにしか通らないような人間にとっては、こういうのがじっくり見れて渋滞もありがたいと言えば言えないこともないかな。地元の人は大変だろうけれどね。

彫刻家ロドルフォ・ガレオッティ・トーレス II

ガレオッティの最初の人物像は1945年の革命の三部作(Tríptico de la Revolución)は、ホルヘ・ウビコ政権を倒した1944年の革命を記念した作品になります。時はちょうど「民主主義の春」の時代。この像にある三体は学生、労働者、軍人という革命の主人公たち。この像は12区にあるそうですが、実物を見たことありません!その内行ってみよう…。

TRIPTICO DE LA REVOLUCION
photo y art by Edgar López on Flickr

この後、数々の作品を造っているようで、とりあえず主なものを列挙してみると:

建築物はそれなりに写真があるんだけれど、彫刻となるとあまり写真撮る人いないっぽい。私も滅多に撮りませんが。

テクン・ウマン、マヌエル・トット、アタナシオ・ツル、フアン・マタルバツはいずれもマヤの英雄たち。テクン・ウマン以外は地元に像が建てられています。アタナシオ・ツルの像が好みだわー。ヨハネ・パウロ2世の像はご近所だし、写真を撮った記憶があるので探してみたんだけれど見つからず…。撮りに行けばいいのか。

石膏、石、大理石、ブロンズと様々な材料を駆使した彫刻家だったそうですが、その対象は主に地元のヒーロー。ヒーローをコツコツコツコツ刻み続け、1988年5月16日に大統領表彰を受章、その数日後の5月22日に永眠されたのでした。

<参考>
Rodolfo Galeotti Torres (Literatura Guatemalteca)
Remozan monumento a Juan Pablo II (Municipalidad de Guatemala)

Link

ガレオッティが外装を担当したというパラシオ・ナシォナルですが、こんな写真を見っけ。

Guatemala de Antaño
photo by Guatemala de Antaño on Facebook

1948年の絵葉書だそうですが、今のと色が違う!中央公園も木が一杯だし、ガレオッティ作という噴水が七段モノだし!!

こちらは最近の写真。国旗がちょっと邪魔だけれど。噴水が三段しかなくて、残る四段はどこへ行ってしまったんだろう…?地震で崩れたとか…???

Parque Central

それに昔は緑が多くて本当に「公園」な雰囲気だったんだね。最近は中央公園じゃなくて憲法広場と呼ばれていて、まあそりゃ確かに公園というよりはただの広場。噴水あるけど。

建物そのものは変わっていないようながら、以前は表面に色が塗られていたのかしらん。とってもエレガント。現在は使われている石材の色である緑な建物になってて、それはそれで素敵なんだけれど。建設が開始されたのは1939年、完成は43年、敷地面積が8,890平方メートル、350のサロンを擁するという巨大な建物。

この建物、今は文化スポーツ省になっていて、それ以外にも政府の公式行事とか時々美術品などの展示が行われているけれど、何となく行きにくい雰囲気。もっと気軽に行けるといいんだけれどなぁ。入場料はQ40でガイド付(数年前なので値上がりしているかも)。1980年に国の歴史的・美術的モニュメントに指定されています。

彫刻家ロドルフォ・ガレオッティ・トーレス I

入院しているPCはどうやら重症のようで、後任を探した方が良いかな…と思っているのですが、時悪しくボーナスシーズン終わった後。先月ならいいPCが安価であったらしいんですが、すっかり出払ってしまったと仲良しのPC屋のお兄ちゃん談。とりあえずはネットブックがあるから用は足せるんだけれど、小僧が宿題用に使っていることも多いので、しばらく更新は滞りがちになるかもです。

さて前回のテクン・ウマンさんの話で出てきたロドルフォ・ガレオッティ・トーレスさん。ケツァルテナンゴにある方のテクン・ウマン像を造られた方ですが、1912年ケツァルテナンゴ生まれ、ってことは今年生誕101年。

父親はイタリアからの移民の大理石職人。小さい頃から石に触れる機会は多かったわけで、門前の小僧的に石を削ったりしていたのかも。

19歳の時にイタリアへ留学して彫刻を本格的に学び、22歳でグアテマラに帰国。ラファエル・ジェラ・グンテル(Rafael Yela Günther)に弟子入り。ガレオッティに関する記録を読んでいると、「ジェラが最後の作品を完成させないまま亡くなった後、完成させたのがガレオッティ」となっていたりします。この作品はグアテマラシティの5区にある労働のモニュメント、通称エル・ムニェコンだったりするんだけれど、ムニェコンができたのが31年、ジェラが亡くなったのが42年だからどうもこの話はおかしいのかも?まあいいや。とにかく1931年からずーっとこの格好でいるムニェコン、おつかれさん。

muñecon
photo on “El Universo de Leo”

ガレオッティ自身の作品で、最初に公共スペースに造られたのはケツァルテナンゴの勝利のオベリスコ。フスト・ルフィーノ・バリオス(元大統領、1871年の自由主義革命の指導者)生誕100年を記念して1935年に建造されたものだそうです。

1939年にサン・マルコスのパラシオ・マヤの外壁装飾を担当。この建物、現在は県庁舎兼市庁舎かな。マヤの石碑にそこはかとなく似ているレリーフの美しい建物です。建設を進めたのは当時サン・マルコスの知事であったミゲル・イディゴラス・フエンテス(後の大統領)。

Escultural
photo by Yemo Chocano Alfaro on flickr

細部までマヤ的模様が造りこまれていますが、入り口の両側に口を開けているのは羽毛をもった蛇神、ククルカン(メキシコ的なケツァルコアトルの方がわかりやすいかも)と呼ばれているマヤの神様。時計はマヤ数字で書かれているし、入り口上の窓はマヤアーチ。いろいろとおもしろいです。

パラシオ・マヤに続くのがグアテマラシティのパラシオ・ナシォナル。こちらはスタイルが全然違うけれど、やはり外装及び内装を担当。そしてこのパラシオの前にある中央公園(または憲法広場)の噴水もまたガレオッティの作であります。

Palacio Nacional

パラシオ・ナシォナルができたのが1943年だからガレオッティさんまだ31歳。ここら辺まではまだ二十台の時の仕事ということになりのか。すごいな。

ちょっとすごすぎるので、後半はまたあらためて。