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カミナルフユ:アクロポリス

オリジナルのカミナルフユ人が自分たちの町を放棄し、ソラノからやって来た原キチェー人がカミナルフユに住みついた後、それまであった住居を一旦更地、あるいは半ば破壊しての建設工事が始まったことは既述の通りですが、もう一つ大きく変わったのは石碑などのモニュメントを作らなくなったことでした。

石に絵や文字を刻むのは職人の仕事でしたから、職人の不在がその理由だったのではないかと想像するのですが、逆に言えばそれまでカミナルフユにいた職人は他の町へと行ってしまったということなのでしょう。このキチェー・カミナルフユには彫刻師がいなかったため、古典期のカミナルフユについては建築や陶器から当時の様子をうかがうことになります。

Acropolis, Kaminaljuyu

カミナルフユといえばアクロポリス。そのアクロポリスの中でも、ティオティワカンの影響が見られることで有名な建造物G。ティオティワカン様式の特徴であるタルー・タブレロがみられます。

Taludtablero.png
Dominio público, Link

タルー・タブレロ(talud-tabrero)というのはタルーと呼ばれる斜面の壁を持った部分の上に垂直壁が続く様式のこと。3Dとして考えるなら、四角錐の下部+直方体ですか。

現在見えているのはこの建造物ですが、過去の建物の上にどんどん建て増ししていくマヤのことですから、この下にも別の建物などが埋もれているのかもしれません。

Acropolis, Kaminaljuyu

先ほどの建造物Gの前にある建造物E。こちらはカミナルフユのタルー・タブレロ様式の建物としては最古のもので西暦500年頃の建設。穴が見えているのは近年考古学調査を行った時につけられたもので、マヤとは関係ありません。

こちらの壁面、3層になってるのがお分かりになるでしょうか。一番下がタルーとタブレロ(右側の調査用の穴の三角の下まで)、真ん中がタブレロの上から線がついているところまで、一番上はその上になります。

ここにあった案内板によれば、ここは当初一番下の層が建設されていたのですが、その後その建物が放棄された後、大量の土で埋め立てが行われ(二番目の層)、平らにならして別の建物を建設した(三番目の層)と考えられています。下の層が住宅、一番上の層は宮廷か役所などの公共の建物であったのではないかと見られています。こういうのはゴミを調べて、例えば食器などの生活に必要な陶器がどの層から出てくるかといった要素により判断するのだとか。

Acropolis, Kaminaljuyu

この写真で見えている細い通路のようなものは排水溝だそうです。上に置かれている平たい石は新しく見えるので修復された部分なのではないかと思いますが、排水溝がこんなに上にあるように見えるのも、一番最後に建設された部分だからだということなのでしょう。

まるで石かセメントで作られているかのようなこの建造物、軽石+土でできています。この狭い空間にみっちりと建造物が詰め込まれているのはどうしてなのかと思わずにはいられません。

おそらく当時は外壁は赤く塗られ、このマウンドの上に椰子の葉で屋根を葺いた小屋があったと言われていますが、その頃の様子を再現した模型があったら、もう少しわかりやすいんだけれどなぁ、と思ったのでした。

なお、カミナルフユ遺跡公園は8時〜16時オープンですが、このアクロポリスの見学は15時までとなっていますので、ご注意。

デモの悲劇

今日は外を歩くと暑い日で、「プンタレーナスみたい」と小僧に言ったら「あっちの方が暑かった」と即答されてしまいました。何と言っても湿度が違うし、それにあそこの太陽は本当に浴びているとジリジリ焼けるというか焦げる感じがしましたもん。グアテマラの低地もやっぱりそんな感じなので、やっぱり住むなら高地がいいと思うのでありました。

さて、グアテマラでは道路を封鎖しての抗議デモというのは、特にグアテマラシティでは頻繁に発生しています。建前として、交通を妨げる可能性のあるデモは事前にグアテマラシティ(あるいは所轄の)交通警察に届け出る必要があります。そうは言っても何かの拍子に突発的に起こることもあり、先日はそういうデモが悲劇で終わるという、とても残念な事件がありました。

26日水曜日の正午過ぎ、7区にある公立の中学及び高校の生徒たちが、校長の更迭を求めて道路を封鎖したのでした。同校では3月にも生徒らが同じ要求をしていたのですが、聞き入れてもらえなかったので、今度はサン・フアン通りと言う交通量が多く、かつ学校の所在地でもある場所を封鎖してデモを行ったのでした。

もちろん、その場を通る人にとっては大問題です。予定外の封鎖で、困る人は当然多々いるというのもまた事実ではありますが、その学生らの中にアクセルを踏んだ車が飛び込んだとなるとまた別の話です。

その車は学生ら13人を跳ね飛ばして逃亡。学生らは病院に運ばれたのですが、重態だった女子学生が今朝亡くなり、もう一人が重傷、それ以外は軽傷とのことでした。

現場から逃亡したと思しき車はその日の午後のうちに見つかったので、割と早くに犯人逮捕となるかと思われたのですが、逮捕状が請求されたのは金曜日の午後になってから。この間、犯人については「大物の息子」なんじゃないかという憶測が流れていましたが、フタを開けてみれば牧師の25歳の息子で、本日裁判所に出頭したところを「逮捕」されたのでした。さてこれは自首なのか逮捕なのか。事故そのものが過失致死とは言えない上、被害者を放置して逃亡、捜査されていたのにも関わらず親戚の家に隠れていたと言うのですから、今更自首とかちゃんちゃらおかしいわ。

この事件、現場のカメラが撮影していたビデオが公開されたこともあり、当初からかなりセンセーショナルに取り上げられていました。過去にも道路が封鎖され、車の運転手とデモ隊の間で小競り合いがあったり、救急車が通行できずに患者さんが悪化するなどはあったのですが、そのデモ隊に突っ込むような愚か者は今回が初めて。何でも「仕事に遅れそうだったので急いでいた」のだそうですが、事故の後は結局出勤しておらず、しかも自分のみならず他人の人生を台無しにしてしまうのだから、どれだけ短気というか愚かなんだと思わずにはいられません。なぜそんな行為をしてしまったのかと一番信じられずにいるのは、案外本人なのかもしれませんが。

普段から渋滞の激しいグアテマラシティやその近郊は、強盗に襲われる可能性もあるため、運転する側にとってもストレスの高いところであるのは事実ですが、まさかこんな風にリアクションする人物がいるとは思いませんでした。いえまあ、乱暴に追い越した車に腹を立ててピストルぶっ放したとか、そういう話はあったんですけれどもね。本当に何があるかわからなすぎて、危ないし怖い…

ハンドルを握らせると結構短気な小僧は、渋滞に捕まると出没する乱暴な運転の車に腹を立てずに運転するというレベルには達しておらず(グアテマラで運転する時は必須条件だと思うのだけれど)、その度にカッカして運転するので横に乗っている私の方が怖いと言う。そういう挑発に乗って相手を煽ったりすると、相手によってはピストルを持っていたりするのも普通なので、お願いだからそういうのだけはやめてよ、と言ってはいるのですが。

とこう書いていて、どれだけストレス高いところなんだよ、と改めて思っちゃいました。とにかく安全第一、そして他のドライバーやバイク、自転車、歩行者への気配りも忘れずに運転しなくては。なかなか大変なんですけれどもね、これが。

亡くなられたブレンダさんのご冥福をお祈りしつつ。

とりとめもなく雑記

日本はもうゴールデンウィークですね。いいなぁ…。この前セマナ・サンタがあったばかりだけれど。それに今週末は三連休だけれど(5月1日は労働者の日で祝日)。それでもあのゴールデンウィークのあのウキウキ感は羨ましい。新緑の美しい季節にのんびりと旅行したりとかいいなぁ。もっともそのゴールデンウィーク明けの辛さもまた半端ない気がします。五月病になるのもわかるわ。

グアテマラはとにかく皆1月に始まって、3月くらいまではせっせと頑張るのですが、その頑張りがプツンと切れるのがセマナ・サンタ。大学なんかもセマナ・サンタ後は出席率が減ると言うか在籍率が減ると言われていますが、本当なんだろうか。

一方私はと言いますと、今週は色々課外活動?があって、少々睡眠不足。だからなおさらゴールデンウィークが羨ましいのかもしれませんが、今日は頭も働いていないので、さっさと寝た方が良さそうです。ちょうどこんな感じで。

DSC04742

どてっ。犬猫ほどに器用じゃないうさぎは、本当にどてっと倒れるのですが、たまに坂になってるところなんかだと勢い余って一回転し、本人もビックリ、なんてこともあったりします。でも目を細めて気持ち良さそう。

そう言えば、この前の土日で、庭にオオカバマダラ(モナルカ蝶、Mariposa Monarca)の蛹がいくつかぶら下がっているのを見つけました。一匹だけ、蛹になるためにお尻を固定したのにそのまま変態せず死んでしまったらしい幼虫もいて、可哀想なのですがだからといって何かしてあげられるわけでもなし。でもこんなのは初めて見ました。

蛹になった子たちはあと10日ほどで蝶になって飛び立ってくれるはず。皆元気に飛び立ってくれると良いのだけれど。

バーチャルトリップ・イン・グアテマラ

グアテマラにもGoogleカーがやって来てあちらこちらを走り回っているという話は以前に聞いていたのですが、遂に!グアテマラもGoogle Street Viewで見られるようになりました。グアテマラの名誉のために書いておくと、なんでも中米初なんだそうですよ、ストリートビューは。

ウチ付近を見ると、エルサル街道が見えてちょっと感動。しかも渋滞なし。昨年7月の撮影だそうですが、一体いつ走ったら、こんなスカスカのエルサル街道が見えるんだろう。日曜日の朝かな。

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こちらはグアテマラシティのスペイン広場。今年に入ってからこのカルロス3世の噴水に衝突する事故が3回発生しており、ここで見える街灯は既に存在しません。おまけに最近この噴水の周囲は公園化されており、車はもう少し外側の車線を走らないといけなくなっています。

グアテマラシティが予定しているロープウェイもここスペイン広場発の予定。先日、民間航空局からの許可もゲットしたそうです。てか、航空局の許可が必要だったんだって初めて知りました。

緑のバスはグアテマラ市が運営しているトランスメトロ。小僧も毎日このバスで通学しています。

さて、下の地図はそのGoogleマップのもの。同僚が教えてくれたのですが、見て大笑い。グアテマラシティの某所に「麻薬を売ってる場所」というのがご丁寧に記載されているのです。

スクリーンショット 2017-04-26 20.04.14

もちろん、私も自分で探しました(笑)。Drogasって普通の薬の意味でももちろん使うのですが、薬局であればFarmaciaとかDrogueríaを使います。この場合はどう見ても「麻薬」。なんでこんなのがGoogleマップに載っているんだ…。本当にここで買えるのかしら。謎すぎる(笑)

というわけで、ついグアテマラのあちこちをバーチャルトリップしてしまい、あっという間に時間が経過してしまったのでした。

カミナルフユ:都市整備

ソラノからやって来てカミナルフユを手に入れた原キチェー人が最初にやったことは都市を自分達用に造り変えることだったようです。元々あった建築物を一旦破壊し新たに建て直したので、現在私たちが目にすることができるカミナルフユの建築物は、この原キチェー人が古典期に建設したもの、ということになります。

現在カミナルフユ遺跡公園となっている場所も、一旦土地が均され、大きな基壇が建設され、住宅等が建設されたと考えられています。現在見られるアクロポリスはもう少し後になってから建設されたようです。

ペテンやユカタン半島のマヤの遺跡は石灰岩で建設されていますが、あちらは石灰岩が豊富な地質なのだから、当然と言えば当然です。カミナルフユが同様に石で建設された都市で会ったなら、こんなに簡単に前の都市を破壊して建設し直す、ということはできなかったかもしれません。でも火山灰の堆積する地域に建設されたカミナルフユはタルペタテなど粘土を材料にた都市でした。

Kaminaljuyu

アクロポリス。土の建設と言っても、かなり強固な建設であったことが伺われます。一部修復の跡が見られますが、往時は表面に漆喰や塗料を塗っていたと考えられています。

それにしてもこの部分の発掘、なんだかとっても中途半端に見えるのは気のせいでしょうか。囲ってある部分の外側も何か建築物があるんじゃないかという気がするのだけれど、さて。

カミナルフユ:ソラノ人

研究者の間では、先古典期後期のカミナルフユをベルベナ期(紀元前400〜300年)、アレナル期(紀元前300〜100年)、サンタ・クララ期(紀元前100年〜西暦200年)と分けているのだそうです。カミナルフユにソラノ人が侵入し、この都市を一気に征服したのはサンタ・クララ期も末の西暦200年頃であったとされています。

もっとも、その頃のカミナルフユは勢力も衰えていたといいます。ミラフローレス湖は枯れ、大規模土木工事であるクレブラマウンドを築いて作った用水は、期待されたような結果を得られず、カミナルフユは深刻な水不足に苦しみます。もっとも「送水用には規模が小さすぎる」「沈砂部分がない」ために元々用水として機能するとは思えない、だからクレブラマウンドは用水用ではなかったのではないか、と言う意見もあるようです。

それはともかく、当時グアテマラシティのあちらこちらにミラフローレス湖のような湖があったと言われていますが、現在は一つも残っていません。これって気象の変化か何かなのでしょうか。逆に言えば、気象条件によっては、また湖ができたりとかするのかしら。

私が住んでいるサンタ・カタリナ・ピヌラにはラグーナ・ベルメハ(ベルメハ湖)とかシエナガ・グランデ(大沼)とかいう地名があるところがあるのですが、現在は湖どころか沼もなさそうなところです。ここも昔は水が多かったとか?

話が逸れました。

その頃既にカミナルフユが落ち目だったという証拠としては、陶器の数や質が低下していることがあげられるそうです。そこへある日ソラノ人が大挙してやって来たものだから、カミナルフユ人は取るもののとりあえず敵前逃亡、ソラノ人は何の苦労もなくカミナルフユを支配したのでした。

ソラノ人は元々は西部、ウエウエやソロラに住んでいた人たちで、アンティグアを通過して現在のビジャロボス付近、カミナルフユの南西部に住居を定めたそうです。ビジャロボスはグアテマラシティから太平洋側のエスクイントラに向かう時に通る付近、つまりカミナルフユと太平洋側の町との間になります。カミナルフユにとっては重要な通商路の一つであったこの通路が使えなくなったため、カミナルフユは更に困窮していったのかもしれません。

ソラノ人がやって来た時、どれくらいの人がカミナルフユに残っていたのかは不明です。既にこの町を捨てて他の町に移っていった人もいることでしょう。先古典時代のカミナルフユの住民の大半は、モタグア渓谷の方へ移動していったと言いますが、この川流域が長いので「モタグア渓谷」と言われても一体全体どの辺りになるのかはさっぱりです。一部のカミナルフユ人はそのまま残り、ソラノ人と共に暮らしたとも言われていますが、詳しいことは不明です。

さて、ではこのソラノ人とは誰か?ソラノという名前は、ビジャロボス付近に見つかった彼らの居住跡につけられた名前なのですが、この人たちはキチェー語を話す人だったと言われています。


Mayan Language Tree, licensed under CC BY-SA 3.0

上の図はマヤ語の系統を示したものですが、キチェー語がどの時代に成立しているかにご注目下さい。元々のマヤ語から枝分かれした東部マヤ語が原マム語と原キチェー語に別れたのが西暦0年前後として、そのキチェー語が現在のキチェー語やらカクチケル語やらケクチ語になったのはまだまだ先のことだと考えられます。

だとするとキチェー語を話したとされるソラノ人はこの原キチェー語を話していた人たち、つまりキチェー人だったということになります。それを証明するのが陶器。ソラノ人の住居跡、そして古典期のカミナルフユからは西部のソロラやキチェーなどで見られるものと同じ様式の陶器が見られるのだそうです。つまり、この陶器を追いかけると、ソラノ人の移動経路も分かるという次第。

こうしてソラノ人、つまりキチェー人がカミナルフユの新しい住人となったのでした。

なお、ビジャロボスにある「ソラノ住居跡」は現在では一部が住宅開発により失われ、残りは畑(私有地)となっているそうです。2015年3月20日のLa Hora紙に「ソラノ遺跡 (El sitio arqueológico Solano)」という記事が写真付きで掲載されていますので興味のある方は是非。

カミナルフユ:祈りの地

Kaminaljuyu

カミナルフユは昔のマヤの遺跡であると同時に、祈りの場所でもあります。遺跡公園の入口を入ったところに一つ、もう少し奥の方にまた別の祭壇がありますが、祭壇のないところでも祈りを捧げている人が何人もいました。

Kaminaljuyu

入口正面の祭壇で祈りを捧げていたのは日本人とか韓国人とか中国人とかに友人がいるというエウロヒオさん。

Ajq’ijab’(アフキハブ)というのは、日本語では「マヤ祭司」と呼ばれることが多いと思いますが、スペイン語ではGuía Espiritual(ギア・エスピリトゥアル)、霊的指導者という訳語の方が正確かもしれません。若干他の宗教とごっちゃになりそうなので、ここではアフキハブと書きますが、敬称はTata(タタ、祖父、長老)で良いのかな?だとするとタタ・エウロヒオだけれど、それで良いんだろうか。

カミナルフユでマヤの宗教儀式を行うアフキハブとその同行者は、無料で入場できるそうですが、その際にはアフキハブであることの証明書みたいなものを提示する必要があるそうです。アフキハブには審議会みたいなのがあって、ちゃんと登録されているみたいなのですよね。

タタ・エウロヒオは私を見て「こっちこっち」と手招きしてくれました。毎週日曜日の正午に祈りを捧げていらっしゃるのだそうで、私が着いた時にはもう終わりの祈りを捧げるだけだったようですが、「毎週いるからいつでも来てね」と言ってくれました。う〜ん、50ケツァル払わなくても良いのなら考えるけれどなぁ。

Kaminaljuyu

もう少し奥の方、セイバの木(右側)の下には祭壇がいくつもあります。多くの人がいるけれど、休憩中の人ばかり?

感謝を捧げる他、を捧げている人もいるんだと思うのですが、願い事を叶えてもらうためにここに来て祭司に祈りを捧げてもらっている人もいるように見えました。

Kaminaljuyu

遺跡公園の端の方は木がところどころに生えている空間があるのですが、木の根元に花束が置かれているところがいくつもありました。ここは花束だけではなく、松の葉に花びらが敷かれています。祈りを捧げた後、家族でその場でくつろいでいる姿もありました。ピクニックすると気持ちよさそうですが、ここは食べ物持ち込み禁止です。

Kaminaljuyu

このトタン屋根の下にはパランガーナという住居跡があるのですが、この横を歩いている方々は、この手前側から向こう側へずっと膝行をしながら祈りを捧げていました。一度だけではなく、何度も何度も。こちらから向こうへ祈りを叫びながら行き、歩いてこちらへ戻ってくると再度膝行で進んでいく。向こうの方にはたくさんの花が用意されていて、とても大切な大切な願いごとのようでした。

木の下で泣きながら祈りを捧げている人もおり、周りのことも気にならないような、それはそれは熱心な祈りを捧げていらっしゃいました。

こういう聖地に私のような観光客が紛れ込むのは申し訳なかったのですが、このカミナルフユが過去の遺産ではなく、現代の聖地としてアフキハブから一般の人に至るまで大切にされているというのはすごいことだと思います。大体グアテマラシティとかその周辺って、そういう祈りを捧げられる場所そのものがそんなに多くないでしょうから、貴重な聖地であるのでしょうが。