Monthly Archives: May 2013

マーク・ウィードベン

ナショジオのLocked Up Abroad(スペイン語タイトルはPreso en el extranjero、海外で囚われて)のエピソードが興味深かったので、忘れないうちに。

コロンビア生まれで2歳の時にアメリカ人夫妻に養子として引き取られ、その後アメリカで育ったマークは、2002年、メーガンとコロンビアを訪れようと計画する。ジャーナリストのロバートと共に、パナマから陸路コロンビア入りしてゲリラ(FARC)とコンタクトを取ろうという計画。パナマのダリエンで地元のジャングルガイドのビクトルを雇って出発したが、道中で武装したグループに囚われる。

マークら3人はビクトルと離されて監視される。遺体が並ぶ墓地のようなところを通ったりもし、死を覚悟するものの、数日後解放される。その時になって、このグループはゲリラではなく武装民兵組織であったことがわかる。

解放された3人はアメリカ大使館に保護を求め、そこでビクトルがその後どうなったかを聞かされる。ビクトルは奇跡的に民兵組織の手を逃れたものの、一行が道中立ち寄ったクナ族の村が襲われ、リーダー4人が殺され、家々が焼き払われたことを知り、自責の念に襲われる。

あらすじはそんな感じ。襲われたクナ族の村はパナマにあったので、国際問題に発展しかねなかったものの、当時のパナマ大統領(モスコーソ)は事を荒立てようとはしなかったらしい。マークらが出会った民兵組織はAUC(コロンビア自衛軍連合)らしい。ロバートはFARCとは事前に連絡を取っていたらしいけれど、まさか民兵組織に捕らえられることになるとは想像だにしていなかったという。ダリエン地方が危険なことは有名だけれど、民兵組織までいるなんて私も知らなんだ。

反ゲリラを標榜していたAUCは指導者が死亡し、政府との間で民兵組織の解体プロセスが進んでいるため既に活動していないものの、武器を持ったまま山に籠もっているグループはまだいるんだとか。AUCはいくつもの虐殺、殺人、誘拐事件等に関わったとてテロ組織指定もされていたり。

軍を支援し、住民を守る組織として生まれたはずの民兵組織が、いつの間にかその目的を見失って住民までを敵の仲間と見なして殺害していく過程はとってもデジャブ。多分紛争地域ではどこでも同じなのだな…。

マークはこの時は幸い難を逃れたものの、2010年、登山中に雪崩に巻き込まれて亡くなっています。享年29歳。RIP.

フェデリコ・レブエルト

レアル・マドリー財団って以前からグアテマラ宛に支援をしてきていたけれど、遂にサッカー・スクールを開校しちゃったんだそうだ。

グアテマラ側の提携先はカルロス・F.ノベーヤ財団。某セメント会社の財団で、有り余る?セメントを使って造ったサッカースタジアムももれなくついている。

レアル・マドリーとグアテマラの関係ってのは実は古くって、1902年にレアル・マドリーが創立した時にちゃっかりグアテマラ人選手がいたというビックリするような話もある。このフェデリコ・レブエルト(Federico Revuelto)という選手、1912年で現役引退した後はフロント入りして会長不在時の代理までやったことがあるっていうから二度ビックリ。

まあ残念ながら、左のサイドバックだったらしいという以外には、どんな選手でどんなプレーをしたかなんて話は残ってないし、実はグアテマラでは最近までほとんど誰もその存在すら知らなかったっぽい。

数年前、レアル・マドリーの本拠地であるサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムに併設されている博物館を訪れたグアテマラ人が、過去に在籍したことのある外国人のリストを眺めていて「発見」し某新聞社に持ち込んで公知の事柄にしてしまったという、さながらアメリカ大陸発見のような歴史的出来事であったのである。

証拠写真:なんとジダンの隣(ヒゲしか印象に残らないが)!
Federico Revuelto

エミリオ・ブトラゲーニョがやって来て本日開校したこのスクール、サッカー少年の心を掴むんじゃないだろうか。

最近全然ぱっとしないグアテマラサッカーだけど、このスクールの中から第2のレブエルトみたいな選手が出てきてくれたら、念願のワールドカップだって実現するかもしれないし。

もっとも子供達的には第2のレブエルトじゃなくて、第2のメッシやロナウドなんだろうけれどね。

無効になった有罪判決

さる5月10日にジェノサイド及び人道に反する罪で有罪となったリオス・モントでしたが、リオス・モント側が憲法裁判所に出した異議申し立てが認められて判決は無効となり、審理は4月19日時点に遡ってそこから再び行われることとなりました。

…って長い一文だな。詳細を説明しだすともっと長くなるので、それはまた別の機会にすることにして。

無効となったとはいえ同じ裁判所の同じ裁判官の下で審理が再開されるので、判決が覆ることはないと思いますが、こんな感じで裁判の内容そのものよりも裁判手続きのために状況がコロコロ変わるのがグアテマラっぽ。被害者だけが置き去りにされていっちゃうのがね…。

この裁判に関連して、エル・ファロとかプラサ・プーブリカに寄稿している作家のロドリゴ・レイ・ロサが、4月にネバフを訪問した時のことを「ネバフへの旅」というタイトルで書いています。その中からイシル族の男性のコメントを中心に抜き出してみようかと(ほぼ全文になったりするけれど)。原文は5月9日付エル・ファロの記事です。

「ここの住民は皆、ゲリラにも、政府にも裏切られたと思っている。今じゃ、マスコミからもだが」。

「2つのグループがあるのは事実だよ。リオス・モントがある意味平和をもたらしたと信じている人も多くいる。それも事実だが、兵士らによる虐殺事件を忘れてしまっている。最悪だったのは、リオス・モントがクーデターで政権をとった後、82年のことだった。虐殺が始まったのはリオス・モントの前のルーカス・ガルシアだったが、リオス・モントはしばらくの平穏の後で虐殺を続けた。そして軍による支配を行ったんだ。PACとか、そういったものを造ったじゃないか。兵士らは虐殺を止めた。それは以前ほどは殺さなくなったという意味だ。皆が覚えているのはそれだよ。だから、何年か前の選挙の時にはリオス・モントやリオス・モントの党がここでは勝ったんだ。裁判に賛同しない人もそこそこいるよ。私はそれはイデオロギーの問題だと思っている。生き伸びた人のほとんどは、否応ながらもPACに加わらなければならなかった。軍はそれを集中治療と呼んでいたな。そうやって軍隊のように仕上げるんだ。洗脳されて、殺し、拷問し、家畜を盗み、時には犠牲者の土地を奪った。積極的だった人物、つまり、密告したり殺したりしたことのある人間は裁きなど求めない。自分にも責任があると感じるからさ。ジェノサイドがあったということを否定するのは、存在しなかったと思っているからじゃなくて怖いからだろう。自分も裁かれることを恐れているんだ」。

「私は生き残りだよ。何とか逃れて、16年間、山の中に隠れて暮らした。ネバフには二十数個の村があったが、一つも残らなかった。ネバフの中心しか残らなかった。教会は兵営に、鐘楼は見張りの塔となり、機関銃が備え付けられた。キリスト像や聖像にはカイビル隊の制服が着せられた」。

「ゲリラは村にやって来て、軍事プロパガンダをやった。市の日に来て住民を集めるんだ。そこでイシル語とスペイン語で、どうしてここにやって来たかという話を始める。武装勢力が必要だと言った。戦わなければいけないということはわかったが、誰も武装する気はなかった。シャカルテという村では、住民がゲリラに協力しようとしなかったために、村人ほぼ全員がゲリラに殺された。ゲリラも軍と同様、正当な理由もなく殺すんだ。しかしそれよりも、軍が応戦を始めるとゲリラはいなくなってしまい、住民があらゆる攻撃の対象となった。ゲリラは隠れていた。たまに攻撃をすることもあったが遠くからだった。パトロールカーに500mくらい離れたところから発砲して、また隠れるんだ。国軍は復讐をするわけだが、対象となったのはゲリラのように簡単に逃れられない住民だった」。

「和平調印の後、(ゲリラの)司令官たちは、自分らの権力を強めようとしていたにすぎないことがわかった。それぞれの立場で政党に加わった。中には極右に行った人物もいる。自分達のために何かしてくれる人は一人もいなかった。現在はNGOがたくさんの資金を使って研究に研究を重ねているが、発展したのはわずかばかりだ。現実には、アメリカへ移民した人達によって支えられている」。

裁判については、と聞かれて。

「恐怖に負けないようにするのは大変だった。まず、死者を掘り出さないといけなかった。それから証言。信じる、というか司法を信じないといけない。でも、ほら、」

と差し出された新聞にはこう書かれていた。

「憲法裁判所はリオス・モントに有利な判断を下した」。

「その司法ってやつはどう機能しているんだい?」。

リオス・モント裁判の紆余曲折 その2

この裁判の原告側もご紹介しておこうかな。

刑事事件の原告と言えばまず検察。グアテマラの検察庁には人権課というのがあって、内戦時特別事件班(Unidad de Casos Especiales de Conflicto Armado Interno)てのはそこに属するんだそうです。

起訴までは班長のマヌエル・バスケスが担当していたのだけれど、2012年2月14日班長さんが交代。どうやらこれは「リオス・モントの告訴が認められた」ということに対する報奨人事らしく、バスケスはサカテペケス局のトップに転任。後任にはオルランド・サルバドル・ロペスが就任し、現在に至る、と。

検察の他、共同原告人として、人権に関する法律活動センター(以下CALDH)の所長フアン・フランシスコ・ソトが名を連ねています。

一方の被告側にはエフライン・リオス・モントの他、当時の大統領府参謀本部情報局(G-2)のトップだったホセ・マウリシオ・ロドリゲス・サンチェスって人もいたりします。ロドリゲスはこのイシルの事件で2011年10月12日に逮捕されており、リオス・モントと共に被告席に座ることになったものの、先日の判決では無罪。

ロドリゲスへの裁判はハイリスクA小法廷にてリオス・モントに先行して始まっていたわけですが、弁護人は「担当判事がこの事件について過去に意見を述べたことがあり、中立の立場にない」として忌避請求を最高裁に提出。

で、これが認められたのが2012年2月21日。実はこの日、ハイリスクA小法廷で公聴会?が行われる予定だったのですが、この決定を受けて中止、以後、事件はハイリスクB小法廷が担当することとなりましたとさ。

この辺りから既に混迷が始まっているのですよね、この裁判。

リオス・モント裁判の紆余曲折 その1

さてと、いろいろゴタクを並べた後ですが、今一度エフライン・リオス・モントの裁判について振り返ってみようと思います。

以前からリオス・モントを裁こうという動きはあり、ノーベル平和賞のリゴベルタ・メンチュさんはスペインまで行って人道に反する罪で訴えていたわけですが、いろいろな事情でそちらは頓挫。

国内的には、国会議員として不逮捕特権を持っていたので無理だったわけですが、2011年の総選挙の時に立候補を見送ったリオス・モントは2012年1月14日土曜日に不逮捕特権を失います。

そんなわけだからリオス・モントにも準備期間はあったんですよね。2011年12月15日には「自分に対する刑事告訴あるいは捜査の有無」を確認するために自ら検察庁に向っています。

その時は応対したマヌエル・バスケス検事は、正義と和解のための協会が2007年にチマルテナンゴ、キチェー、ウエウエテナンゴ、バハ・ベラパスで起こった626件の虐殺事件を捜査して欲しいという内容の告発書を提出していると話してコピーを渡していますが、国会議員であったリオス・モントに対する捜査は行われていないという回答でした。

もちろんこれは、不逮捕特権を失った事件で捜査対象になるという意味でもあり、先手を取りたいリオス・モントは2012年1月16日に法廷へ出向いて趣意書を提出します。この時出向いたのがハイリスクA小法廷。

実はこの辺りが相当に混乱する部分なのですが、グアテマラの裁判制度にはjuzgado(フスガード)という裁判官1人制の法廷とtribunal(トリブナル)という裁判官3人の合議制による法廷があります。刑事事件の場合、通常は初級審はJuzgado、控訴審がTribunalなのだけれど、ハイリスク事件についてはJuzgadoとTribunalの両方の初級審があったりします。で、どうやら多分、予審を担当するのがJuzgado、公判を担当するのがTribunalという住み分けであるらしい。

でもってハイリスク法廷というのはグアテマラシティにはJuzgadoとTribunalがそれぞれ2つずつあるのであります。リオス・モントの裁判ではJuzgadoが2つ、Tribunalが1つ、合計3つの法廷が関わってあーだこーだやっていて、いろいろと混乱…。これに加えて最高裁とか憲法裁判所とかも関わってくるからもうかなりカオス状態です。

そんなわけで、話を進める前にまず登場人物&法廷の整理をしてみようかと。

    • Juzgado de Primera Instancia de Alto Riesgo A(ハイリスクA小法廷)カロル・パトリシア・フローレス・ポランコ裁判長
    • Juzgado de Primera Instancia de Alto Riesgo B(ハイリスクB小法廷)ミゲル・アンヘル・ガルベス・アギラール裁判長
    • Tribunal Primero de Sentencia Penal de Alto Riesgo A(ハイリスクA法廷)ジャスミン・バリオス裁判長
    • Tribunal Primero de Sentencia Penal de Alto Riesgo B(ハイリスクB法廷)イルマ・ジャネット・バルデス・ロハス裁判長(この裁判所はここでは登場しないけれど、一応)

ハイリスク事件を扱うだけに、いずれの判事さんも普段からしっかりボディーガード付の生活らしいです。そんな生活もしんどそう。

で、A小法廷が担当した事件はA法廷が、B小法廷が担当した事件はB法廷が担当するという流れになります。リオス・モントが出向いたのはハイリスクA小法廷で、判事はその場で検察に8日以内に起訴するかどうかを決定するようにと通告。

予審が開かれたのは1月26日。12時間にわたる審理の結果、フローレス裁判長は公判開始とリオス・モントの拘留を宣言。リオス・モントはQ50万の保釈金をその場で支払いますが、自宅軟禁となったのでありました。

というところでつづく。

結果責任

【結果責任】故意・過失の有無にかかわらず結果に対して責任を負うこと(大辞林)

結果責任というと、個人的には真っ先にハコボ・アルベンス大統領(任期:1951-1954)が頭に浮かびます。

アルベンスは大地主の土地を接収して農民に分配する農地改革を進めたり、労働者や女性の権利を強化したり、強制労働を廃止するなどしており、現在でも人気の高い大統領です。その熱心さ、公平さゆえにアメリカが関与するクーデターで打倒されてしまったことも、アルベンス人気を高める理由になっているのだと思います。

と同時にアルベンスについてはその熱心さ、公平さゆえに余計な軋轢を生み、後の内戦の一因ともなるクーデターを起こされてしまう要因を作ったとも言えるのではないかと。アメリカの出方を読み誤ったのか、相手の力を見くびったのか、それとも社会主義こそが国民を救えると理想に燃えていたのか。いずれにしても、アルベンスはその急進さ、左傾化ゆえに葬られてしまったのでありました。

アルベンスの失脚で話は終わるのならまだ良かったのかもしれないのですが、クーデターに失望した将校らが山にこもったのがゲリラの始まり。そこからあの長く悲惨な内戦へと続いていくわけで。そういう意味ではアルベンスにもこの責任の一端はあるのではないかしら。

アルベンスの意図が貧困層、特に農民や労働者のためであったことは疑いなく、そういう意図と途中経過の善は事実としてあるのですが、一方で余計な敵を作ったが故に国も国民(特にアルベンスが支援しようとしていた層)に大きな害を与える結果となってしまった。それでも、アルベンスは人気あるんですよねぇ。

国のためにゲリラ掃討を指揮し、結果として国民を虐殺してしまったが故にジェノサイドのレッテルを貼られ唾棄されるリオス・モントが負わなければならない結果責任の重さを思う時、なぜかふっと浮かんでくるのがアルベンス。アルベンスもまた、グアテマラの歴史を大きく変えた大統領でありました。

何だかとりとめのない話になってしまいましたが。

リオス・モントへの有罪判決についての雑感

元大統領エフライン・リオス・モントに対する裁判は、ジェノサイドと人道に反する罪での告発でした。というわけで、まず争点になったのはジェノサイドの有無。

有罪になったからには法廷(ハイリスクA法廷、裁判官3人の合議制の裁判所。ジャスミン・バリオス裁判長)はジェノサイドが存在したと判断したわけで、その根拠としているのが当時国軍の対ゲリラ作戦として作成された「ビクトリア82計画」「フィルメサ83計画」。82、83は82年と83年、つまりその年に作成された計画で、専門家の「計画の目的は地下組織を消滅させることであった」「対象はゲリラに留まらず、イシルの人々がゲリラに支援を行っているとして国軍は一般市民を抹殺し、生活環境や文化を破壊した」「イシルの人々はラディーノに馴染まず反抗的であるため、全滅させることとした」などという証言、そして生存者の証言など。

判決自身は納得できるものですが、この裁判そのものについての異議や手続きが他の法廷で進行中であるにも関わらず、その決定を待たずに判決を下したりするなど裁判運営がかなり強引だったこともあって、控訴審などで引っ繰り返る可能性もあるかもしれない。もっとも、これだけ世界的注目を浴びて有罪判決が下された後、それを引っくり返すだけの勇気のある人はいないかもな。

裁判官と被告側弁護士(これがまあまた大した人物…。いい意味じゃなくて、ですが)が主役になってしまって、被告や原告側の証人の存在がちょっと脇に置かれてしまった形になったのも残念です。

また、内戦時代の他の大統領、たとえばリオス・モントの前任であったフェルナンド・ロメオ・ルカス・ガルシアなども、同様の裁判にかけられるべきであったのでしょうが、既に故人となってしまった人も多く、責任を問われないままの虐殺事件となってしまっています。

この判決を受けて、これでやっと和解ができるという人もいれば、次はオットー・ペレス(大統領)の番だという人も、ゲリラも裁けという人もいて、和解の道はまだまだ遥か…。

個人的には、あの内戦は、ゲリラが一般市民の支持を得ようとしたのに対し、一般市民を守るべき立場にあった国軍が一般市民を支配しようとしたがために、結果として蹂躙することとなってしまった、その時点で政府の負け、ゲリラの作戦勝ちだったのだと思います。軍がどんなに体裁を繕っても犯したことは取り消せないし、リオス・モントにそんなつもりがなかったとしても、結果として起こったことの責任はリオス・モントが取る以外にないでしょう。

同様に、普通の人でも、環境によってはどんな残虐な行為でも平気で行えるものなのだということをつくづくと思い知らされます。戦争も内戦もテロも、その点ではみな同じ。残念ながら同様の出来事は今この時も地球のどこかで起こっているわけですが、自分がその立場にあったとして、自分一人が他人と違う行動を取れるかというと…。

加害者でも被害者でもないという幸運を喜ぶことしかできない意気地なしなんだよなぁ、私。ふぅ。