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メキシコ、移民の受け入れを表明

メキシコのエンリケ・ペーニャ・ニエト(EPN)大統領は、本日中米から北へと向かう移民キャラバンに対し、次のような声明を出しています。

#EstasEnTuCasa(エスタス・エン・トゥ・カサ=ここは君の家)と名付けられたプランは、中米からの移民の受け入れを表明したものです。対象はメキシコの移民局に出頭し、入国手続きまたは難民申請を行った(またはこれから行う)人物。出入国可能な身分証明書の発給、就職斡旋、子供たちへの教育、医療を提供すると話していますが、グアテマラに近いチアパス州とオアハカ州のみで有効です。

難民を保護という人権問題とアメリカの間で大きく揺れ動いたであろうメキシコの大英断だと思いますが、一般のメキシコ人、特にチアパスとオアハカの人の気持ちやいかに。。。

当の移民キャラバンの人たちは、本日チアパス州のアリアガに着いた後総会を開き、「チアパス州とオアハカ州に限定するプランは受け入れられない」とEPNの提案には載らないことを明らかにしています。それのみならず、「メキシコシティまで行ってEPNとAMLO(アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール次期大統領)と対話をする」ことを表明しています。

チアパスとオアハカ限定ではね。。。ってことなんでしょうか。それとも、やっぱりアメリカ行かなきゃってこと?

先は長い。

私はサンディニスタだった

記者兼映像プロデューサーのアナ・カルピオはグアテマラの内戦が激化していた1980年、家族とともにニカラグアに移り住みました。当時のニカラグアはサンディニスタ革命が成功してしばらく経った頃で、アナもサンディニスタの青年部に加わり、サンディニスタ政権を支えたのでした。

革命後の証人でもあるアナが現在のニカラグアを憂慮してWebメディアのノマダに「39年前、私はサンディニスタだった」という文を寄稿していますので、ここに紹介したいと思います。なお、サンディニスタは「サンディーノ主義者」のこと。前世紀前半、ニカラグア人でアメリカへの抵抗運動を率いたものの、1934年にアナスタシオ・ソモサにより殺害されたアウグスト・セサル・サンディーノの名に因みます。

掲載はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC BY-SA 4.01によります。


 

39年前、私はサンディニスタだった

1980年7月19日、私は初めてデモ集会に参加した。当時、私は13歳でニカラグアに住んでいた。

その日は、ラテンアメリカでの最後の武闘革命の成功から1年であった。マナグアの革命広場に押し寄せた何千人もの群衆の中で、私は他の人と同様、赤と黒の旗の一部であった。家族とともにグアテマラから追放され、「自由なニカラグア」で一ヶ月を過ごした頃であった。他の国へ行くこともできたが、両親はこの地域の正当な社会モデルとなると考えられていた国の建設に立ち会う機会を逃すまいとしたのであった。5年間ニカラグアに住み、そこで高校を卒業した。

最初の頃の思い出は、マナグアの逃れようのない常夏の暑さである。この町には皆が集まれるようなところがなかった。1974年の地震の後、再建されないままだった。私の思春期の最初の頃の記憶をより乾いたものにしているのは、若者の姿のない、埃にまみれた石畳の道である。

しかしこれは間もなく変わる。若者らは帰ってくる、と誰かが言っていた。サンディニスタ革命政権が若者らに依頼した最初の大きな任務が「識字教育十字軍」のためにである。教員、国際機関の職員、そして貧富の差に関係なく老若男女あわせて6万人がこれに参加したとされている。

1ヶ月後、若者たちの姿を見るために再び広場を訪れた。そこには旧東ドイツのIFAのトラックで運ばれてきた何千人もの参加者の姿があった。「7月19日サンディニスタ青年部」のロゴの入った白いシャツとジーンズを身に着けているグループがあった。首や手首には赤と黒のバンダナを巻いていた。軍服のようなカーキ色の制服、ブーツ、帽子を着用している人たちもいた。恐怖はなかった。あるのは喜び、歌声、笑い声、誇り、希望だった。祖国と革命は彼らの努力に感謝し、両腕を広げて迎え入れた。参加者の多くは、初めて家族から離れて生活しようという人々だった。家族とともに過ごすという快適さを捨て、6ヵ月の間国内の主として貧しい地域で寝起きする。一番年下の子らは13~14歳であったが、ちゃんとやり遂げた。不識字率は50%から13%に下がり、この運動は国内からも国際社会からも称賛され、ユネスコの「世界の記憶」にも登録された(注:登録は2007年)。素晴らしきかな、革命!

私はこの最初の運動には参加しなかったが、その後5年間、できる限りのことをした。コーヒーや綿の収穫、塹壕掘り、豪雨による浸水で取り残されたスラム地域の人たちの救助、デング熱の予防啓発といった、様々な社会活動に参加した。7月19日サンディニスタ青年部は愛され、尊敬されていた。

この組織の教育や行動は軍隊式であった。小隊、中隊、大隊の一部となること、整列し、行進し、銃を分解したり組み立てたりすることを学んだ。数日から数週間、時には数カ月間にわたって家を離れることもあった。誕生日やクリスマス、新年は山の上で迎えた。米とフリホールとトルティーヤを食べ、板のベッドや土間で眠った。仲間の間でよく口に上ったのはマナグアに戻ったら何を買うかという話だった。チョコレートアイス、ハンバーガー、ピザ、炭酸水。恐怖も学んだ。夜、何もないところで、空腹や寒さに耐えながら、雨が降っても見張りをした。壊れかけのVz. 52小銃を抱えながら、私たちよりずっと良い装備を持つ反革命グループが遠くで銃を撃つ音を聞いた。

わかってもれないかもしれないが、当時の若者世代は、このプロジェクトに命を捧げる決意をしていた。かつて私が通った学校や他の学校には、今も戦いの中で倒れていった学生たちの写真が貼られているが、実際、そのように命を捧げる決意をしていた。この多くが私の親しい友人だった。実際に、これは戦いだった。革命を守るために5万人が亡くなっていったのだった。

その価値があったのか?

涙が溢れて来たので一旦手を止める。携帯をチェックしよう7月19日、SNSではニカラグアの友人たちがダニエル・オルテガとその妻ロサリオ・ムリーヨの政府の犯罪を告発している。友人たちにとって、今日は広場は存在しない。この年のスローガンは「オルテガイズムとの決別」であり、セレモニーには参加しないようにと呼びかけがなされていた。

現在40代、50代になっているかつての若者たちにとって、サンディニスモ(注:サンディーノ主義)を語るのは困難なことになってしまった。当時の革命運動の第一の目標は独裁者ソモサを倒すことだった。そこにはマルクスーレーニンの社会主義のみならず、ありとあらゆるイデオロギーが反映されていた。そんなに真っ赤な革命ではなかったからこそ、キューバよりもはるかに自由に、他の政党の創設や信教の自由や選挙が認められていた。ソモサの不動産を押収したが、社会主義的経済を進めることはしなかった。サンディニスタは、人権及び革命倫理・価値観の尊重という枠の中で、より多くの人が政治参加できるように便宜を図り、中央政府はより貧しい人々の生活状況の改善に力を注いだ。しかし現在の指導者らは理解しがたい腐敗の過程に陥っており、あの時の理想は既に失われているように見える。

次の世代により良い国を引き継ぐはずだった。強力なリーダーシップの必要性を理解し、抵抗しながらも指示を受け入れた。私たちは正当な社会の建設に参加しているのだとひたすら純真に信じていた。銃から花が咲く日もあるだろう、と。

しかしオルテガのシンパであるパラミリタリーが持つ武器から薔薇の花が咲くことはない。今日、ニカラグアは権力に渇える夫婦が引き起こした、巨大な政治的社会的危機の中にある。FSLN(注:サンディニスタ民族解放戦線、オルテガが率いる政党)は確かに先の選挙で70%以上の得票率で勝利したが、汚職と職権乱用に不満を持った市民が通りへ出て抗議を行うと、返答として銃弾の雨を降らせた。これにより既に350人以上が亡くなっている。

グアテマラでオットー・ペレス・モリナとロクサナ・バルデッティの政府による汚職に対する抗議を思い起こして欲しい。隠れていたいたパラミリタリーが集まった群衆に発砲し、頭を吹っ飛ばしたとしたらどうだろう。それほどにグロテスクな出来事だった。いかなる大統領にとっても、完全なる犯罪的過ちである。将来の政治的生命が断たれるのみならず、終身刑で獄中につながれるべき行為である。「新たなる人間」としてイメージを売ってきた革命のリーダー、そのイメージは暴君なき国を望んでいた市民の支援があったからだということを考えていてほしい。オルテガは怪物との闘いを率いたが、その跡を継ぐと、少しずつ別の人間へと変わっていった。

何にも増して悲しく辛いことに、先日のサン・パウロ・フォーラムでは、ラテンアメリカの左翼政権はこの政府を支援し、それにより犯罪に加担しることを宣言した。政府の姿勢や発言が、反帝国主義でさえあれば(もちろんこれはすべてアメリカの責任であるが)、「多少の」死者は問題ないかのようだ。その一方で、独裁者や政府が右であれば、人権侵害という批判を雨あられと降らせる。厳しく糾弾すべき出来事を前に、無責任かつ支離滅裂な態度を貫き、距離をおくことができないという無能さは驚嘆すべきものである。

もちろん、サンディニスタ政権を失脚させようとアメリカ政府がやったことは私も知っている。しかし、それと、現在ダニエル・オルテガがやっていることには何の関係があるというのか?

福音教会派的なメッセージに満ちた政府声明を出すこの夫婦の妄想も重要なことではないのだろう。オルテガはもはやどこかの教会の牧師のようである。神から選ばれた者と名乗り、悪魔を糾弾し、反対派の後ろには悪魔的カルト集団がいると言う。趣味の悪い冗談なら良かったのだが。「政教分離の国家を要求する」と言った真面目な要求にも回答することができない。常軌を逸していると言いようがない。

歴史的なFSLNの敵と交渉したことも、革命の指導者というイメージを弱体化させることはなかったようだ。それもこれも、できる限り長い間権力にとどまることができるようにと政府のありとあらゆる権力を自分に集中させた結果だ。こうして新たな独裁者が誕生した。グアテマラで、これを政治的に非難しない者を支援しないように注意すべきだ。前政権は私たちの不満を暴力をもって抑圧しようとしなかったが、URNG(注:グアテマラ革命同盟、元左翼ゲリラで現在は政党)やオルテガを支援する政党が権力についた暁には実行するだろう。ニカラグアの場合、他の政党がより良いというわけではないが、このような不正義には必要だ。このままではダメだ。

市民の政治家への信頼というものが、基礎部分にまで及んでいるということを再確認する必要がある。もちろん、私たちの選択肢はその政治家自身のイデオロギー、倫理、価値観、将来的な人間としての質といったものにより少しずつ減っていく。私は左から始めた。このイデオロギーに共鳴する人には、主張が一貫し、他人と協調し、誠実で分別のある人が多い。私たちの革命が奪われ、誇りをもっていられた政治的居場所が失われたことは残念でならない。

イギリスの政治家、ジョン・アクトンは「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」と言った。どの暴君が権力につこうとしているのを自分が助けるはめになるかなど、誰にもわからない。私たちの革命はダニエル・オルテガとロサリオ・ムリーヨの独裁政府のためではなかった。誰もそんなことを教えてはくれなかったが、なぜ自分たちがそこにいたのかを知っている。私たちこそが革命だったからだ。

サンディニスタ運動の孫たちの反逆

1995年にピュリッツァー賞を受賞したスペイン人カメラマンのハビエル・バウルスが見たニカラグア。

上記ツイートのリンク先からバウルスの写真が掲載されているサイトに飛べます。写真は6つに分かれており、それぞれタイトルがついています。「抵抗」「苦しみ」「反逆」「思い出」「愛」「死」。

バウルスのツイートにも写真が多々アップされていますので、ここに貼り付け。

亡くなった人の数は正確には不明ですが、およそ300人と言われています。その大半がオルテガを支持する警察、パラミリタリーによるもの。負傷者多数、行方不明(逮捕されたと見られる人も含む)となったままの人の数も正確には把握されていません。

道路の敷石を積んだだけのバリケード。そんなに強度が高いわけではないでしょうが、警官隊の銃弾を防ぐ役目は果たしてくれるのでしょう。

 

「デモに参加したために逮捕された男性。銃弾2発を受けている。逮捕された後、銃弾の摘発もされないままベッドに手錠で繋がれている。男性の脚は腫れ上がり、化膿しているにもかかわらず、手当を受けていない」。

 

政府は反対運動を続ける市民を「テロリスト」「クーデターを企てている犯罪者」と呼び、これほど多くの人の命が失われたという事実を軽く見ているようです。昨日の革命記念日でも、オルテガはカトリック教会を非難し、テロリストを非難することで自分を正当化しようとしていましたが、政府が一番心を砕くべきなのは市民が安心して生活できるようにということなのでは。

若き市民運動のリーダーとして独裁者ソモサの打倒に加わったオルテガが、今度は自身が独裁者となって若き市民らと対峙しているという皮肉。

オルテガに当時の信念が残っているのなら、辞任しますよね。その後はキューバ辺りで余生を過ごしてればいいじゃん。

明日は市民らによるデモが予定されています。どうか皆が無事でありますように。

セルヒオ・ラミレスのニカラグア

セルヒオ・ラミレスは現在、ニカラグアを代表する作家です。先日行ったブックフェアーでも著書が並んでいましたし、昨年はセルバンテス賞(スペイン語の作品を対象としてスペインの文学賞)を受賞している人ですが、過去にはダニエル・オルテガ政権下で副大統領を務めたこともあります(1985〜90年)。

もっとも、その後はサンディニスタとは袂を分かれ、もっぱら文筆業に精を出しているようですが、私が毎朝通勤時に聞いているラジオ番組で電話インタビューに答えていました

その内容をここに掲載しておきたいと思います。インタビュアーはルイス・フェリペ・バレンスエラとマリエロス・フエンテスです。


ーサンディニスタ革命から39年が経過しましたが、なぜこのような抑圧が起こったのでしょう?

私が悲観的な人間なら、ニカラグアの歴史は繰り返すのだと言うでしょう。独裁者が別の独裁者にとって代わる。権威主義者が別の権威主義者を倒すのです。1893年がそうでした。それから1970年代のアナスタシオ・ソモサ、そして現在のこの政権です。

残念ながら、革命は遠い昔の出来事のようです。それと言うのも、傷を負った現政権が大衆の意志に反しているということ以外、何も残らないからです。

2つの出来事は全く似通っていません。1970年代、若者は武器を手にしてソモサを打倒しました。今日、若者は自分たちの命を危険にさらしています。大きな違いはここにあります、以前は武装闘争でした、でも今は武器を手にしていません。

もう350人が亡くなりました。自分の身を防ぐ術もなく撃たれ、銃撃されて殺されたのです。これはかつてなかったことです。軍隊の持つありとあらゆる武器に丸腰で対抗しているの争です。

ーダニエル・オルテガが市民を攻撃するという決断をしたのはなぜでしょう?いつか気がつくことがあるのでしょうか?

その内、雲の上から降り、この国が廃墟となっているのに気づく時がやってきます。ニカラグアの経済はとても小さい。コスタリカよりはるかに小さいのです。既に外貨5億ドルを失いました、輸出は減少しています。30万人が失業し、レストランやバーは店を閉めてしまいました。6時以降は外出禁止令が出ています。

権力にしがみつこうとする人物にしか、このような状況を生み出すことはできません。市民と権力の間には大きな溝があります。市民は権力を拒否し、権力が直ちに小さくなることを希望しています。問題の解決のためには交渉する必要があります。内戦を起こしてはいけません。

ーオルテガの側にいるのは誰でしょう?

誰もいません。カトリック教会は暴力行為の被害を受けていることを告発しています。教会は略奪の被害にもあっています。仲介役である教会に対して戦いが仕掛けられています。民間企業は既にオルテガから距離を置いています。町の人々もそうです。

ストライキが呼びかけられた時、市民が亡くなりました。デモ行進が呼びかけられた時、通りは人で溢れました。オルテガは機関銃を持った側近に囲まれています。しかし、市民社会は背を向けています。

ー国際社会からの圧力についてはいかがですか?

とても重要です。問題が外側から解決すると言うことはできませんが、昨日の米州議会での決議はとても重要です。21ヶ国がオルテガへの非難決議に賛成票を投じました。棄権したのはボリビア、エルサルバドルと欠席したカリブの国でした、名前を思い出せませんが。つまり、ニカラグアは全く孤立しているということです。圧力はより大きくなります。

ロサリオ・ムリーヨはダニえ流・オルテガにどのような影響を与えているのでしょうか?

オルテガが彼女に与えた権力を有しています。そして大きな権力を受けたのです。このように親密な関係にある権力と言うものを私は知りません。どちらがどちらに影響を与えているのかはわかりません。二頭政府です。

ーアルノルド・アレマン(注;元大統領)のような人物はどうするのでしょうか?オルテガを支援するのでしょうか?

それはオルテガを権力につけた汚職システムの一部です。アレマンは国会で偽の野党を率いています。何の意味もありません。アレマンのような政治家は恥ずかしいと思っているので、このような機会には顔を出しません。

ーニカラグアの状況をこうやって話すことで身に危険があるとお考えですか?

ここでは誰もがリスクを冒しています。政府と同じテーブルについた全国対話のメンバーは、一人ずつ逮捕されていっています。先住民の代表であるメダルロ・マイレナは、警察官4人を殺害した容疑者となっています。ロサンゼルスに向かおうとしたところ、マナグア空港で逮捕され、翌日、裁判に付されました。

市民運動のリーダーや全国対話の他のメンバーも、警察が探し回っています。政府が全国対話を行うと言っている一方で、これに参加するメンバーや、立会人である司教・司祭を追求しているというのは説明不能です。

ペドロ・ホアキン・チャモロが「誰もが自分自身の恐怖に囚われている」と言った通りです。私は政治参加しているわけではありませんが、だからと言って沈黙するつもりもありません。

ー平和と和解を口にし、平和を守らない者を糾弾する政府のステートメントをどう分析されますか?

ジョージ・オーウェルの言葉のようです。真実とは反対のことを言っていることに気づく必要があります。昨日、米州議会でビデオが公開されました、良いビデオです。政府の代表、オルテガ、ムリーヨ、モンカダ外相の一言一言が。。。そのメッセージの側に映像を添えればもっと良いでしょう。システマチックな嘘です。

ー3ヶ月前、現在のニカラグアを予測できた人は誰もいません。あなたはいかがですか?

いいえ。私はセルバンテス賞の授賞式の前に、スペインにいました。そこで起こっていることを知り始めたのです。政府は小さな抗議を排除し、その後も同様で良いと思っていました。抗議のきっかけは年金改革でしたが、現在では誰もそんなことを覚えていません。

あれは草原に火を放った火花でした。今日では誰もそれを止めません。多くの抑圧があるにも関わらず、人々は再び通りへと出て行きます。この闘争を強いものにしているものがあるとしたら、人々が恐れていないということでしょう。

ーこれが内戦になる可能性があると思われますか?

その危険は常にありますが、避けるべきものです。教会も、企業も、市民運動のリーダーも、武器を手にしないようにと言い続けています。

内戦になって欲しいと思っている人はどこにもいません。2万人の死者を出したアナスタシオ・ソモサの時や、やはり2万人の死者を出したコントラとの戦いの時のように。丸腰のまま失われた350の生命の事をとても悲しく思います。英雄的なことではあります、武器では何も解決できません。

ー本日はサンディニスタ革命の39周年ですが、ダニエル・オルテガはこの日の前にいかなる蜂起も許さないつもりでした。

お祝いというのは一種の儀式で。。。これまではお祭りでした。かつては、マナグア湖の傍にある広場を人であふれ帰らせることができました。本日は今までのような大衆を集めることはできないでしょう。

マサヤで行われる別の集会であるエル・レプリエゲ(立てこもり)は大規模なお祝いでした。それを支援してきた市民の心は完全に離れています。なぜなら、その地区に死者がいるからです。軍人、公務員の子らが殺されています。もうすでに反対勢力に留まっていません。

ーどうしたら問題を解決できるのでしょう。選挙の前倒しで十分でしょうか、それともオルテガの辞任が必要ですか?

可能なことと、そうあって欲しいこととは別のものです。オルテガはバリケードを撤去し、通りをきれいにしたことで勝利したと思っています。国中、至るところに覆面をしたパラミリタリーがおり、市民を脅したり嫌がらせをしたりしています。譲歩をする必要はないと思っています。

しかし、現在の状況を見ると、オルテガは負けたと言えます。この状況は数ヶ月続くかもしれません。オルテガが2021年間で任期を続けたとして、任期を終えた時、この国がまだ血を流し続けていることはないと思います。彼は出口を探すために対話をしなければならない時が来ます。

ー少し前に、あなたはツイッターでこう書かれました。「モニンボは倒れなかった、沈黙もしなかった。倒れなければ黙しもせず、屈しない。モのモニンボは我々である」と書かれました。

兵士らが、パラミリタリーと警察官約1200人がニカラグアの歴史の中でシンボルとも言える地区のバリケードを破壊した時、スターリングラードの戦いでもあるかのような武器の音を聞きました。

市を占拠するというのは何を意味するのか?ナチスが軍隊を率いてヨーロッパの市を占拠したように入城するのか?それは人の心を征服するという意味ではありません。モリンボはニカラグアの歴史における反逆の杖でした。人々の魂は征服できません。

モリンボはアナスタシオ・ソモサに対する抵抗のシンボルでした。そして今再び、シンボルとなっています。


 

最後でふれられているラミレスのツイートはこちら。

モニンボぼ落ちなかった
沈黙もしなかった
落ちず、黙せず、屈しない
モニンボがある限り 尊厳も存在し続ける
モニンボはニカラグアであり
モニンボは我々であり
我々がモニンボなのだ

革命記念日を前に

今日からちょうど100年前、1918年7月18日は南アフリカの元大統領、ネルソン・マンデラが生まれた日だったのだそうです。マンデラと言えばインビクタス(え?)。モーガン・フリーマンがマンデラ役をした、あの映画、好きなんですよねぇ。

さて今日はニカラグア危機が始まってから3ヶ月が経った日でもあります。

最初は社会保障制度の改悪への抗議でした。その抗議を抑圧しようとしたために、市民が反発、ダニエル・オルテガ大統領とその妻である副大統領ロサリオ・ムリーヨの辞任を要求するようになりました。この3ヶ月間で300人以上が亡くなり、負傷者や行方不明もまた数多く。

政府は抗議する市民をテロリストと見做し、強武装した警官隊や軍隊を派遣して鎮圧しようとしています。マサヤでは17日、早朝より警官隊、軍隊などによる鎮圧活動が行われました。マサヤの警察署長は「大統領と副大統領から『通りをきれいにしろ』と直接指示された」と発言しています。

政府の主張としては「通りにあるバリケードが市民生活を脅かしている」んだそうで。100歩譲ってそれが事実だったとしても、犯罪を犯していない一般市民に発砲する理由にはなりません。

どうやら政府は7月19日のサンディニスタ革命記念日までにマサヤ市、特にサンディニスタと所縁のある深いモニンボ地区を制圧しようとした模様。どうやらその目標はとりあえず達成できたようですが。。。警官よりもパラミリタリーが中心になっているという情報もあり。みんな覆面してるから良く分からないのですよね。。。

カトリック教会が仲介に入っていますが、オルテガのシンパは仲介を行っている大司教を殴ったとか。国連も米州機構も武力を非難し、対話による解決を呼びかけていますが、一向にそんな気配はありません。それどころか、オルテガは戦車55台を発注したと聞いています。

どうして社会主義の国は不自然に民主主義を装った独裁政権になってしまうのか。。。

本日、米州議会でニカラグア政府の市民抑圧に対する非難決議が可決され、その後アメリカ副大統領のマイク・ペンスがこんなツイートをしています。

ま、オルテガはアメリカなんて屁の河童くらいにしか思ってないんでしょうが。。。

ニカラグアに1日も早く平和が訪れますように。

デモ行進

ニカラグアではダニエル・オルテガが多くの犠牲者を出す混乱の元となった大統領令を撤回しましたが、国民の方はそれだけでは満足しなかったようです。今朝のニュースでは、先週逮捕された学生らは未だ釈放されておらず、政府に批判的であったテレビ局は通常の放送をできない状態であったとか。これは時々グアテマラでもありますね。最近ではあまりそういうこともないようですが、テレビがダメでもネットで流せちゃいますからね。

「逮捕された学生らの家族は「エル・チポテ」で釈放を求めている。警官はほぼ5ページにもなるリストの名前を読み上げている」。

うむ。国立大学生の親としては、グアテマラで何かあった時にやっぱりハラハラします。一方で、こういう若者の力が時代を変えていく原動力ともなるのもまた事実。

うーむ、楽しそうだ(おい)

大学生らが呼びかけた政府の抑圧に反対を主張するデモ行進は多くの市民の賛同を得たようです。オルテガは1985〜90年及び2007年から現在まで、合計すると16年大統領をやってます。昨年の選挙で当選しているので現在の任期は2022年まで。今72歳ですから、さすがに次の選挙は出馬しないんじゃないかとは思いますが、ソモサといいオルテガといい、ニカラグアは独裁者が好きですね。グアテマラもそうか。

あまりの騒ぎに(?)今日は地震もあったようですが、とりあえずオルテガは国民の声に耳を傾けてほしいですね。元々はそういう大志を持って就任した人だったと思うのですが。。。

一方グアテマラでは、先週末より色々と賑やかです。先週土曜日にはジミーの辞任などを求める集会が国家宮殿前で行われました。

こっちも楽しそうだ(いやいや)

明日は明日で、農民グループ2つがグアテマラシティでそれぞれ朝からデモ行進を実施する予定となっており、朝から小僧を送っていくことになりました。渋滞キライ。デモに参加する方が楽しそうだけれどな。

 

ニカラグアでの抗議と鎮圧

昨日の話の続きを・・・と思っていたのですが、ニカラグアの状況が悪化する一方のように見えるので、一度書いておきたいと思います。

4月16日、ダニエル・オルテガ大統領率いる政府は社会保障制度の改正を公布しました。年金制度の負担金増額、年金額の改正などで、個人の負担は今年7月1日より現在の6.25%から7%に増額されます。もちろん雇用側の負担分も増額されますが、こちらは2020年まで段階的に現在の19%から22.5%へと引き上げになります。これってかなりの負担ですよね。ちなみにグアテマラは確か本人負担と雇用者負担を合わせて15.5%です。もっとも保障の方もそれなりですが。

改正の中でも一番批判が多かったのは、年金受給者は年金額の5%を医療費として支払う、という部分でした。ニカラグアの年金受給者は20万人強、受給額は大体$300から$500程度。ニカラグアの物価については不案内ですが、これで生活しろと言われても厳しそうな。

赤字の増え方がものすごく急ですよね。

改正が国会を通さずに大統領令として事前の協議もなく公布されたことも、批判を呼ぶ点となっています。オルテガは「社会保障制度を維持するためには、この改正が必要」であると主張しており、それはひょっとしたら正しいのかもしれません。国会を通そうとすれば、国民の反対を恐れる議員らの賛成も得られないかもしれません。そうは言っても、この手の改正が一般市民からの大きな反発を受けるであろうことは予想できたのではないかと思います。

こうして18日、国内各地で抗議活動が始まりました。抗議に参加したのは年金受給者の他、国立大学生、企業ら。通常、オルテガを支持していた人たちでした。#SOSINSS(INSSはニカラグア社会保障機関の頭文字)というハッシュタグを使ったSNSでパッと広まったのですね。

残念ながら、政府はこの抗議を力づくで制圧しようとしました。この間の詳しい状況を知っているわけではないのですが、多分、抗議する側から警察隊への投石などといった暴力行為もあったのではありましょう。たとえそうだとしても、市民を守るために存在する警官が、市民に発砲するのは許されることではありません。

デモと無関係の人や、更には抗議行動の取材にあたっていた記者ら、今日までに25人が亡くなったと報道されているのに、政府はその姿勢を変えていないようです。オルテガは貧しい人のための国を造るために大統領になったのではなかったかしら。

でも実際には軍事独裁と何ら変わらないという。現在は警官のみならず軍隊も出動しているようですし。

この先どのような状況になっていくのかはわかりませんが、妻を副大統領に据えたオルテガには、もう市民の声は聞こえていないのかも、という気がします。そろそろ潮時なんでは。

エステリでは集まった人々がろうそくに火を灯し、亡くなった方々を追悼しているそうです。

どうか状況が良くなりますようにと祈りつつ。