Category Archives: 時事

マスクがない

ラテンアメリカにも少しずつコロナウィルス(COVID-19)が染み込み始めており、お隣のメキシコでは感染者が数人出ておりますが、グアテマラの隣、チアパス州でも感染者がいたそうで、いよいよそろそろこちらにもやって来るのかなぁ。。。などと思っています。

グアテマラで以前「コロナウィルスかも?」との疑いがあった方はその翌日は感染なしだったことが明らかになったのですが、その周辺ではたちまちの内にマスクが売り切れてしまったと言われています。

ま、もっともグアテマラでマスクを使うのはお医者さんとか歯医者さんとかで、それ以外では工事現場(マスク違うけれど)とかそういうところ。普通はマスク使うことないですから、元々あまり売られていないのでありました。だから、割とあっさり品切れになるのは理解できるなー。

と他人事のように思っていたのですが、実はこの度マスク探しをすることになってしまいまして、これがまた、在庫切れの嵐です。「ある」と言ったところもグズグズしている間に「在庫切れ」に変わってしまうという始末。値段も鰻上りで、こんなんだったら私が手作りして売るわ!!!とか思っちゃうくらいです。

医療用品を扱うところ(病院などに卸しているところ)も在庫なし、って言っているんですが、これって病院は大丈夫なのかしら?既にしっかり買い占めてあるのだと思いたい…。「マスクがないので手術できません」とか「マスクが値上がりしているので、手術代も値上がります」なんてことにならないといいけれど。

さて、こちらはグアテマラが誇るアウロラ国際空港。

到着便の乗客を医師が一人ずつ体温チェック。

って、えっ…、ひょっとしてこの中に感染者がいたら、この医師も感染する可能性あるよね?マスクもしてないし、医師が感染して、今度は感染源になる可能性だってあるよね?グアテマラの空港はヒトの検疫は普段はしていないので、こういう時には国立病院の医師が駆り出されるんじゃないかという気がするのだけれど…、その医師が病院に戻って患者さんたちに感染させたりとか、そういうこと考えないんだろうか?

って思うのは私だけではないようで、コメントには同様の書き込みがずらずらずら。

売り切れでもう買えなかったのかもしれませんけれどもね。

ちなみに…マスクを探していて、業者さんにお勧めされるのは、まずメキシコ製、次でニカラグア製。グアテマラは衣服を作る工場は多々あるけれど、どうやらマスクは生産されていない模様です。ま、コロナにあやかってこれから製造始めるところ出て来るかもしれないですが。

とんだとばっちりを受けているのがメキシコのコロナビール。

アメリカ人へのアンケートですが、アンケートに答えた人の38%が、「コロナウィルスが蔓延しているからコロナビールを買わない」と答えたとか。マジか。こんな時こそコロナビールを飲んでコロナをやっつけるぞ!くらい言ってほしいぞ。

それはともかく、明日も引き続きマスクを探さねば(はああああ)

 

 

グアダルーペの聖母の日

12月12日はグアダルーペの聖母の日。メキシコで聖母がフアン・ディエゴに出現したことを記念する日ですが、グアテマラでもグアダルーペの聖母への信心は篤いのであります。ミサやプロセシォンはもちろん、教会の前には屋台が並び、教会を訪れる人たちの車の列・列、そしてまた列。

Retablo de la Virgen de Guadalupe, La Merced de la Ciudad de Guatemala
photo by Roberto Urrea on flickr

これはグアテマラシティのラ・メルセー教会にあるグアダルーペの聖母に捧げられた祭壇。贅沢な金の装飾が施されています。

こちらは本日行われたグアダルーペの聖母のプロセシォン。こんなにゆらゆら揺らされて、マリア様は乗り物酔いしないんでしょうか。遷都して間もない1793年に建設されたグアダルーペ寺院のプロセシォンです。

元々の写し絵に、聖母の体から光が発せられる様が描かれているからなのでしょうが、聖像になってもその光が付いているのがなんともシュールに見えるのですが。。。このビデオの最初の方は後ろ姿なので、余計シュールに見えるのかも。いや、前から見たってやっぱりシュールだわ。。。

私の通勤路にもグアダルーペの聖母に捧げられた教会があるのですが、何と言っても付近は交通量の激しい渋滞地域。ここでは昨日午後から深夜にかけてプロセシォンを行ったようです。最初の頃は住宅街方面、深夜になってから大通り方面へとやって来ているようで、いやまあ本当にプロセシォンをするのも結構大変なのですが、「プロセシォン」と言えば、ブツブツ言いながらも皆が納得するのもまた事実。

トトニカパンでもやはりグアダルーペの聖母の日のお祝い。この日は子供達に民族衣装を着せて教会へ行くのが風習です。先住民の女の子なら普段から着用でしょうが、普段は着ない男の子たちもこの日だけはペンでヒゲまで描いて正装するという念の入れよう。

とっても可愛らしいのですが、マリア様はこういう風景をどう見ているんでしょうねぇ。とちょっと気になったりします。

デモ集会

まずはこの写真をご覧下さい。

国家宮殿前、憲法広場に集まった人・人・人。

これは「Cicig賛成、ジミー辞めろ」の人たち。。。ではなく、「中絶反対、ゲイの法律婚反対」の人たちが本日行ったデモ行進。どちらも現在、国会で法改正が検討されています。デモの言い出しっぺはカトリック教会のグアテマラ司教代理ラウル・マルティネス(グアテマラ大司教だったフリオ・ビアンは本年2月に亡くなっており、その後空位となっています)。これに福音教会(エバンヘリコ)やユダヤ教会も参加したという話です。

土曜日に行われたCicig賛成の人たちの集会はこちら。

少なっ!!!

いえ、決して少ない人数ではないのでしょうが、教会の組織力には敵いません。ジミーが未だに支持を得ているのも、エバンヘリコの力によるところは小さくないと思いますし。

それにしても、いかなる理由であっても中絶禁止というのは、やはり厳し過ぎると思わずにはいられません。このテーマは過去にも取り上げたことがありますが、どうしても忘れられないのはエルサルバドルで妊娠した女性が、自身の慢性疾患のために母子ともに命の危険があるとして、妊娠中絶を認めて欲しいと要求したのに、結局は認められなかったという話。「妊娠した瞬間から人間として魂が宿る」「だから胎児の堕胎は殺人に当たる」という美しい建前の前に、助けられるべき女性の命がおろそかにされてしまったのではなかったか。

グアテマラは保守的な傾向のある国で、あまり変化を好まない傾向にあると思います。貧困世帯が多く、乳幼児死亡率が高い国であるという事実がある一方、幸福度調査をすると、日本よりもはるかに上にある。自分の周囲、目の前の小さな幸せを大切にし、それで満足出来るということなのでしょう。自分の世界をしっかり確立し、それを守ることで精一杯。

それはそれで良いのだと思うのです。コップの中の幸せであっても、その中で幸せに暮らしていけるのならば。

ただ、自分は良くても子どもの世代はどうなるのかと考えた時、一歩外に踏み出す必要があるのかもしれません。親は子どもに対し、どういう人になって欲しいとか、ちゃんとした収入を得られる仕事をして欲しいとか願うものです。でもその子どもたちが成人した時、グアテマラの社会はどうなっているのか?今のように汚職がはびこり、マラスが幅を利かせるような社会のままでいいのか?

それよりも中絶禁止やゲイの婚姻禁止の方が大切だってことだったら、かなりがっかりするんですが。

2018年上半期を振り返る

6月30日。グアテマラでは軍隊の日で祝日なのですが、1年の前半終了の日でもあります。

なので突然ですが2018年の上半期を振り返ってみたいと思います。

グアテマラの内政は、未だに汚職追求派と汚職容認派(または汚職やってる派)の間でせめぎあいが続いておりますが、5月に検事総長がテルマ・アルダナからマリア・コンスエロ・ポーラスに代わってからは汚職追求の手がトーンダウンしている気配。着任して1ヶ月程度でどれだけできるかと言われれば難しいのかもしれませんが、前任者が残していった仕事への食い付きが遅いこともあり、まだ様子見ではありますが、市民の間には疑問を投げかける声も上がり始めています。

そんな折、フエゴ火山が噴火、6月3日には火砕流により麓の村に大きな被害をもたらしました。死者の数も行方不明者の数も判然としない状態ですが、何とも痛ましい出来事でした。現在もまだフエゴ火山は活動を続けており、雨季の現在、時折起こるラハールは脅威となっています。まだ当分この状況は続きそうではあります。

世間がこの火山の被害に目を向けている間に、国会では選挙法の改正案が取り沙汰されておりました。それは現在の選挙資金法では有罪にあたる罪状につき減刑してしまい、国会議員ら自らがその恩恵を受けようというもの。この議論は本国会に上がっており、すでに議論が始まっていましたが、なぜか途中でストップしたままとなっています。

アメリカの不法移民問題は外交問題であるとともにグアテマラの内政にも関わるものですが、5月下旬にはテキサス州ラレドで、グアテマラ人のクラウディア・ゴメスが国境警備隊に撃たれて亡くなるという事件が発生しています。

これはその時付近の住民が撮影したビデオ。騒音を聞いて撮影を始めたそうですが、2分過ぎ、警備隊員が男性2人を連行していきます。女性は我慢できずに叫びます。

「どうして乱暴に扱うの、なぜあの子を撃ったの、殺したでしょ」。

発砲した隊員は現在停職処分になっているということだったと思いますが、事件は解明されるのかな。。。

この事件のしばらく後、アメリカ国境を超えた不法移民らが、親子離れ離れで施設に入れられていたということが大きな問題となります。それについてはこのブログでも少し取り上げてきましたが、とても残念なのは、アメリカ国内及び国際世論という大きな後押しがありながら、ジミー・モラレス大統領はアメリカに対して実に遠慮がちな声しか上げておりません。先のクラウディアの件にしても、抗議をしてしかるべき事件ですが、政府が行ったのはクラウディアの遺体をグアテマラに搬送し、親元へと送り返したこと。うむ、どこから出したお金なのだ、それ。

ジミーは、どうやらアメリカのご機嫌取りに終始するつもりのようです。5月にエルサレムに大使館を移転したのもアメリカのポチだからこそ。自分の政権、というよりは自分のお尻に火がついている状態なので、誰か守ってくれる人が必要。より正確には、アメリカ方面から「あの大統領じゃダメだ、別のにしよう」と言われないために必死なのだと思います。

コメディアンが本職のジミーだけに、アメリカのご機嫌伺いという道化師の本来の職業を地道に果たしているというべきなのかも。アメリカ様さえご機嫌麗しければ、自分の地位もとりあえずは安泰なり。

なので、内政も外交もその他諸々もどうでもいい。やる気がないのは今に始まったことではないけれど、お友達やら親戚やらをまるごと抱えた無能政府の行く先は地獄しかないではないですか。よく皆乗っていられるよな、とそっちの方に感心します。

悲惨なのは打ち捨てられたままのグアテマラ国民。このままジミーの任期が終わる2020年1月まで待たなければいけないのかと思うと、気が遠くなりそうです。それとも、来年の選挙年には何か動きがあるのか。。。

それよりも、明日のグアテマラがどうなっているかの方を気にするべきなのでしょうが。

ペンス副大統領のグアテマラ訪問

アメリカ副大統領マイク・ペンスが本日グアテマラを訪問。滞在は数時間で、やって来て、会談して、記者会見して、バイバイ。あっという間でした。

左からサルバドル・サンチェス・セレン(エルサルバドル)、マイク・ペンス(アメリカ)、ジミー・モラレス(グアテマラ)、フアン・オルランド・エルナンデス(ホンジュラス)。後ろの旗とは並び方が異なるのでご注意。

中米の首脳を一つところに呼びつけて、何の話をするかと言えば、やっぱり移民以外にはありません。「アメリカに来るのならいつでもウェルカムだよ、だけど合法的に来てね」というのが要点だったそうですが、そんなわかりきった話をするために3バカトリオ、じゃなくて3人の大統領を呼びつけたの?

ま、今回の訪問はメインはブラジルとエクアドルで、グアテマラは帰り道に立ち寄りました、ってことなのかもしれないので、ま、いいです。

大統領たちが話し合っている隙に、同行していた妻のカレン・ペンスさんはフエゴ火山の被災者のキャンプを訪問。

多分これは、日本が緊急援助を行ったテント村ではないかな。こちらは空港からヘリコプターで行ったらしいです。そりゃま、車で行ってたら帰る時間にあに合わないもんな。

今日の午前中にグアテマラ入りしてペンスさんの到着を今か今かと待っていたサンチェス・セレンとJOHも、言いたいことは言えたのかな。聞いてもらえるかどうかは別の話ですけれども。

ひょっとしたら、ペンスよりもサッカーのワールドカップの結果の方がよっぽど気になっていたのかも。幸い、訪問の日程と試合は重ならなかったのではありますが。

女性器のプロセシォン

3月8日の女性の日には、フェミニストによるデモ行進というかプロセシォンが行われたのですが、これが結構な物議をかわす結果となっています。

それと言うのも。

この映像を見ただけで、何のことやらすぐわかるでしょうか?というか、ひょっとして18禁?

vulvaというのは女性器のこと。”Procesión de la Poderosa Vulva”は「偉大なる女性器のプロセシォン」とでも訳しておきましょうか。この先頭の旗というかバナーも含め、まんまカトリック教会がやってるプロセシォンのパクリです。しかもバナーの絵がマリア様っぽい女性器だってところがすごい。これ描いた人、すごい。ストレートで大胆な表現ですよね。

さて時は四旬節。復活祭の準備期間であるこの禁欲の時期に、カテドラルの前を通っていったこのプロセシォンに、カトリック教会の司教様たちは渋い顔。渋いのみならず、「被昇天の聖母セーフホーム」の火災により亡くなったり火傷をした少女たちのための記念行事がやはりちょうどカテドラル前の憲法広場で行われていたのですが、これに参加していた人権擁護庁長官ホルダン・ロダスがその場におり、プロセシォンの参加者らと話をしていたとして、司牧評議会(グアテマラ国内の司教により構成される評議会)名で、正式にロダスを非難する声明を出しています。

マッチョの国グアテマラだからこそ、こういう過激な表現による女性の権利が主張されたのでしょうね。おとなしい主張では誰も見てくれないし、気に留める人もいない。まずは注目を浴びて物議を醸そう。そういう意図は明らかです。

グアテマラは未成年者が妊娠・出産するケースがとても多い国です。14歳未満の少女の妊娠が昨年1年で1248件。何らかの暴力被害の届け出は52,000件。そして殺人被害者の数は593人。グアテマラは中絶禁止の国ですから、14歳の子どもでも、妊娠したら出産しなければならない。養子に出すケースもあるのでしょうが、多くの場合は幼くして母親となり、子どもを育てます。それが近親者によるレイプであることも少なくないのが、何ともやりきれないところです。それに対して司牧評議会は何らコメントを出していません。

保守的なグアテマラですから、「教会に対する冒涜だ」と批判する声がとても多いのですが、共鳴する人ももちろんいますし、これに便乗してSNS大喜利をやる人たちやら何やらで巷は騒がしい。

と思ったら、これに便乗してうざいホルダン・ロダスを追い落とそうとする汚職同盟の国会議員たちがロダスを国会に呼んで問責決議をするとかしないとか。いやまぁ、さすがに「偉大なる女性器」、霊験あらたかでございます。

女性たちの主張は「自分の体のことは自分で決める」。他人に強制されたり、「女だから」という枠にはめられたりしないこと。それだけなのですけれどもね。

何でこんなに波風立つんだろ。

少女たちの物語

2017年3月8日に起こった年少者の保護施設での火災から1年が過ぎ、多くのメディアが再びこの事件を取り上げていました。ちょっと変わった方向からアプローチしていたのがWebメディアのノマダで、2人の母親の過去を掘り下げつつ、どうして娘がこの保護施設で生活するようになったかという状況を描いていきます。

ピア・フローレスの「El incendio y el encierro para dos niñas, antes y mucho tiempo después (二人の少女の火災と監禁、昔とそのずっと後)」、クリエイティブ・コモンズライセンスによりここに掲載したいと思います。なお、この事件はまだ係争中であることから、登場人物の名前や地名は実際とは異なっているそうです。

ビクトリア 第1章

「灯りがなかったから、ロウソクのかけらに火をつけました。それを紙や木のあるところに置いた後、うとうとして、その内耐えられなくなったんです。眠り込んでしまいました。どうやってかはわからないのですが、熱くて目が覚めました。何もかもが燃えていました」。

炎の中で目をさますことになろうとは、眠りについた時には誰も思わなかった。最年長の少女は、私立校の掃除を一日中した後で、くたびれていた。その夜、母親は3件の家で洗濯をすることになっており、4人の弟や妹たちの面倒を見るのはビクトリアの仕事だった。一番下の弟はまだ数ヶ月で、その上に3歳、4歳、6歳であった。ビクトリですら7歳だった。まだ闇が怖い年頃の女の子であったのである。

ビクトリアは、木の板で造られた小さな家が崩れ落ちようとしていた時に子どもたちの名前を叫んでいた母親の声が未だに忘れられないでいる。その叫び声はあまりにも強く、ビクトリアが中庭からみんな無事だと叫んだ声は届かなかった。今から25年前の1992年のある夜、グアテマラシティの郊外にあるビジャ・ヌエバのスラムでの出来事である。

マルタ 第1章

マルタが覚えているのは監禁の中の絶望である。逃げ道がないという恐怖。ある日、ちょうど日付が変わる頃、足元の床が揺れ始めた。走りたかったができなかった。彼女は10歳だった。母親は、マルタが4歳の時に一から始めるためにとアメリカへ渡り、叔父と祖父母に育てられた。

「厳格なカトリックの家庭でした。残念ながら、どの家にも黒い羊ってのがいるものです。私は勉強が嫌いでしたし、反抗的でもありました。好きなのは音楽。叔父は神父になるための勉強をしていました。私は男の子がやりたがるようなことが好きだったので、叔父は、私がレズになると思い込み、何としても矯正すると言っていました」。

この一家は、グアテマラ東部に住んでいた。西部の静かなマヤの地域と異なり、よりメスティソ、カウボーイ、ピストル所持者の多い東部で、普通よりも多く資産を持つ家庭であった。反抗的な少女を矯正するのは、社会的ステータスの問題でもあった。こうして祖父母は叔父による孫への虐待を正当化した。

「叔父は性的な虐待こそしませんでした。どうしてだかわかりませんが、私のことを憎んでいるようでした。何をすることも許されませんでした。何も、です。時にはドアに近づくことすら許されませんでした。ガレージに置かれたベッドに鎖で縛り付けられたのですが、以前、このベッドで別の叔父が亡くなったことがありました。私は反抗的でしたが、かといって、こんな風に扱ってもいいということではありません。その内、自分はこの家族の者じゃないんだと言うようにもなりました。兄弟らは家に住んでいましたが、私は一緒にテーブルで食事をすることもありませんでした。誰からも愛されていませんでした」。

何年もの間、マルタはガレージで生活した。食事を取るのも眠るのもガレージだった。叔父が帰ってくるとぶたれるので、時がゆっくりすぎればいいと思っていた。暴力は日毎にエスカレートし、これ以上耐えきれなくなったマルタは、家から逃げ出した。しかし家族は彼女を探し出し、国の施設に入れた。マルタはここで1年近く生活した。しかし、閉鎖された環境に耐えられなかった。何度も施設から逃れ、連れ戻されるということを繰り返した結果、これ以上ここには置いておけないと言われてしまった。そうして叔父の元に連れ返された。その罰は過酷であった。かつてなかったほどの激しい暴力にあったのである。

ビクトリア 第2章

「子どもの頃、足りないものは何もありませんでした。素晴らしい両親がいましたから。母は殴るということが何かを知らないような人でした。父もそうです。母はじっと待つということができない人でした。私たちに何か足りなかったりすることがないようにと、いつも仕事を探しては父を経済的に助けていました。私が6歳の頃まではそうでした。ある日、父は仕事に行くと言って家を出たきり、戻ってきませんでした」。

90年代初頭のこの時期、家族が住んでいたスラムは既に危険なところとなっており、母もビクトリアの父方の祖母も、父に何か悪いことが起きたのではないかと想像した。ところが、実は同じ地区の別の女性と住むために家族を捨てたのであった。

大好きだった父に嫌悪を感じたのは、この時が初めてであった。泣きながら家に帰って来てとか、一緒に連れて行ってとか頼んだが、父は怒り、家に帰した。

約10年の間、ビクトリアの父は2つの家の間を行ったり来たりしていた。ビクトリアの母の家ともう一人の女性の家である。その女性との間にも3人の子どもがいた。数日間一人で家にいることもあった。時には数週間であったり、数ヶ月であったり、一年になることもあった。後悔したと言って戻ってくる度に問題を抱えてきた。段々飲むようになった。ビクトリアの母とも喧嘩するようになり、時には殴り合いとなった。もう一人の女性がビクトリアの母に文句を言いに来ることもあった。時には脅迫もあった。

ビクトリアはこのまっただ中にいた。十年近くにわたり、暴力的で相手を支配しようとする男を前に、2人の女性が離れられないでいるのを観察していたのである。

マルタ 第2章

マルタは13歳の時に再び家から逃げ、通りに居場所を求めた。一人で生活した。少女であったため、何度もレイプされた。家族に復讐しようと考えているうちに、麻薬にも手をだすようになっていった。

売春もした。

家族を社会的に辱めるという満足に加え、風俗産業従事者として職と家を得たのである。それには仕事仲間や客からの暴力という代償もあった。しかし、叔父から受けた虐待の後では、もう誰にもそれ以上好き勝手にはさせなかった。ある日、喧嘩で相手の女性をカミソリで切りつけ、額が割れるほどに殴られたことがある。最終的には叔父の追跡を逃れるため、グアテマラシティの売春宿を斡旋してくれた女性とともに町を離れた。

レイプと売春の中で最初の娘が生まれた。15歳の時だった。彼女も父親も麻薬をやっていたため、生まれた子は奇形児であった。まだ若く、このような赤ん坊を育てる状況にはなかったため、家族の元に帰る以外に選択肢がなかった。彼女の母はアメリカから戻って来ており、子どもを育ててくれたが、数ヶ月後に亡くなった。1年後、マルタは2人目の赤ん坊を自分で育てることにした。この子は水頭症であり、数ヶ月で亡くなった。グアテマラはアメリカ大陸の中でも乳幼児死亡率の高い国の一つである。

2人の子どもを亡くした後、マルタはグアテマラシティの18区の売春宿に戻った。

ビクトリア 第3章

ビクトリアは10代の頃から、経済的に母親を助けるようになった。母親は子どもたちのために必死であった。ビクトリアは学校を辞め、近所の人と一緒に、首都で最大の市場に隣接するバスターミナルで食べ物を届けるという仕事をするようになった。朝5時に家を出て、戻ってくるのは夜の7時であった。毎週得られるQ25で母親を助けたのであった。

環境が母親の性格を少しずつ変えていった。厳しい生活のため、厳格な女性となった。ビクトリアがミスをしたり言うことをきかないと叩くようになった。ぶたれるのは彼女だけだった。多分、ビクトリアが一番年上であったからかもしれないし、ビクトリアが女の子だったからかもしれない。もしかしたら、ビクトリアがお父さんっ子で、別の女性の家へ父を訪ねて行ったりしたからかもしれない。

「当時、私には何もわかりませんでした。母はとっても変わりました。仕事がもっとハードになったため、子どもたちだけで残されました。私たちの食事の用意をしていると遅くなってしまうので、どうするかを考えるのは私の仕事でした。私が8歳の頃から何かにつけぶたれるようになりました。言うことを聞かないと言われました。今なら私も大人ですから、母がどうしてそんなだったかがわかります。母は父のことが好きだった。しかし、父にひどく傷つけられたので、怒っていた。思い通りにならないことにがっかりし、怒っていたけれど、どうしたらよいのかわからなかったので、私に八つ当たりをしていたのです。母はそうしたいと思っていたわけではなく、状況によりそうなったのだと思います」。

マルタの母のカルロッタは11歳の時に老人と結婚させられた。カルロッタの家族はバハ・ベラパス県のコーヒー農園で働いていた。夫は大土地所有者で裕福であった。カルロッタは10代が終わる前に3人の子どもをもうけた。ある日、老人は酔って車を運転し、事故にあって亡くなった。老人の家族はカルロッタを家から追い出した。カルロッタが家や土地や子どもらを自分のものとしないようにしたのであった。脅され、一番下の子を腕に抱えて逃げたが、持ち出すことができたのはこの子だけであった。他の2人の子とは二度と会うことはなかった。首都に仕事に行くことを決めた時、子どもは妹のところに置いていった。

マルタ 第3章

売春宿での2度めの生活で、ある男性と出会った。

「あの人が私を酒場から連れ出してくれたんです。7年間一緒にいました。でも地獄のような7年でした」。

「毎日殴られました。この男といるのは間違いだとわかっていましたが、酒場にも通りにも戻りたくなかったのです。前のような生活を送りたくありませんでした、そのためにその人と一緒にいました。一度、首を切られそうになりました。ここに傷跡が残っています。私が彼にしがみついていたので、ナイフは半分ほどしか入りませんでした」。

首の傷を見せてくれた時、指が震えていた。その男性は22年前、マルタが以前付き合っていた男性と同じ年になり3番目の息子を出産して間もない頃に殺された。どうしたら良いのかわからなかった。3歳に満たない3人の子どもたちが残された。

他にどうしようもなかったので、子供らと一緒に売春宿に戻って仕事をした。子どもたちは養子に出すことに決めた。マルタにとって、困難な決断ではあったが、その方が将来のために良い機会を得られるだろうと思った。自分のよりももっといい生活ができるだろうと。

ビクトリア 第4章

ビクトリアもまた、年配の男性から性的虐待を受けていた。父方の祖父である。最初の時は4歳であった。

「いつも私に近づいて来たんです。祖父母は同じ家に住んでいました。ある日、私が祖父の側に行った時、脚の間を触り始めました。その後も同じことがありました。頻繁というわけではありませんでしたが、何年にもわたって何度もありました」。

言葉を出すことで息が詰まりそうになっていた。両親には何も言わなかった。一人で背負い、ずっと沈黙を守ってきたのだ。そうしたのは、自分たちの子どもを守るためにはその方が良いと思ったからで、一度だけ声にしたことがあったという。

「子どもたちにはいつもいろんなことを尋ねます。誰のことも信用しません。子どもたちが誰かと親密になるのも好きではありません。焼きもちというのではないと思うのですが、遠ざけようとします。男でも女でもです。私がされたと同じ目にあうのではないかと思うのです。娘には一度それを話したことがあります。同じようなことをされたり、されそうになったら自分に話してくれるようにと。私のように、黙っていてはいけないと」。

マルタ 第4章

アル中の夫との間に生まれた末の娘に、マルタはすべてを与えようとした。この娘は彼女にそっくりであった。娘は反抗的で、言うことを聞かない子どもだった。閉じ込められるのが嫌いだった。短気だった。家から逃げようとした。東部のあのガレージで彼女が閉じ込められていた時と同様に。娘は14歳であった。

数ヶ月もの間、当時36歳だったマルタは、危険な友人から娘を遠ざけるために、住んでいたコロニーのどこに隠れていても彼女を探し出した。時には、夜になっても家に帰ってこないこともあった。

マルタは娘に何か悪いことが起こるのではないかと気が気ではなかった。小さい頃から、強い性格をしていたという。とても攻撃的でとても短気だった。マルタはそれが自分と夫の複雑な関係に原因があるのではないかと思っている。

「私の夫はアル中でした。最初の頃、彼も最初の夫と同じようなことをしようとしました。殴られていた時期もありました。でも、こう言ったんです、小さい頃から殴られ、蔑まれて来た。でもあんたにはそうさせないって。その後はもうそれまでのようには殴らせませんでした。一時期、彼が殴り、私が殴り、彼が殴り、私が殴り、といった時期もありました。もうそんな喧嘩は昔のことです。ですが、そういったことのすべてが娘に影響を与えたのだと思います。父親のことを良い目で見ることは一度もありませんでしたから」。

マルタは今の夫と知り合った後、売春宿を離れ、通りでプラスチックの器を売るようになった。その後、しばらくマキーラ(注:保税加工を行う工場。多くは縫製工場)やカフェで仕事をしていたこともあった。このカップルはもう16年一緒にいる。何度も殴られた結果、マルタはもう愛情も欲望も感じないと認めている。すでにくされ縁となっていると。どうして別れないのか?売春宿に戻りたくないからだ。

それに、育てないといけない思春期の娘がいるからだ。

「娘にはここまでだ、と言いました。昔私がそうだったように、施設に入れると。毎晩、オマエがどこにいるのかと心配して泣いていると。ここでは、毎日のようにあちらにもこちらにも救急車がやって来ます。担がれているのが娘ではないかと、それがどこであっても見に行きます。私は彼女のためにと思ってしたのです」。

ビクトリア 第5章

ビジャ・ヌエバのスラムでは、年ごとに治安が悪化していった。クネクネと入り組んだ通りはパンディーヤに支配され、死者を出したことのない家はまれであった。ビクトリアは葬儀の常連であった。最初は2人の弟が殺された時。彼女が一人で面倒を見た弟たちである。あの火災から守った弟たちである。

ビクトリアは他人に涙を見せない。しかし、弟たちのことを話す時は別だ。あまりにも辛いのだ。

もう一人の弟も同じ目にあうのではないかと心配し、ビクトリアは母親に末の弟をコロニーの外にあるセーフホームに入れてはどうかと提案した。ビクトリアは17歳、末の弟は10歳で、やはり言うことを聞かない子どもだった。

「私と母は弟を施設に入れることにしました。言うことをきかず、通りをぶらぶらしていたからです。他の2人の弟のことで十分経験を積んでいましたし、同じことが弟に起こってほしくなかったからです。母には弟がいなくなるようなことがあってほしくないと言いました。怖かった。パンディエーロになってほしくありませんでした」。

弟は5年間、政府の施設で暮らし、中学を卒業し、態度を改めた。この決断は成功であった。

だから10年後、ビクトリアは自分の娘を守るために同じ決断をすることをためらわなかった。娘は13歳で、7歳年上の男性に恋していた。その男はパンディエーロだった。

このような過去と現在が、ビクトリアに娘を国の施設に入れることを決断させた。南部のビジャ・ヌエバから東に30km、グアテマラシティ郊外にある被昇天の聖母セーフホームに移したのである。

マルタ 第5章

ある日、マルタは娘の物の間にメッセージが書かれた紙片を見つけた。そこにはある人物の家に行き、そこに残らなければならないと書かれていた。

「何で行きたいの?この人と?お前を産んだのは私なのに、どうして別の人の言うことを聞かないといけないの?」
「ママ、やめて、どうしても行かないといけないの」。

「どうして?困ったことがあるなら言って」。
「言えないの。ママ、数ヶ月だけだから」。

「何を考えているの?そんなことはさせない。恐喝しろって言われているの?それとも携帯を渡しているの?こいつらの言うことを聞かないといけないなんて、一体何をしているの?」
「言えないの。ママに何かあったら嫌だから」。

このような状況のために、マルタは娘をグアテマラ市北部の18区から20km離れたグアテマラ市郊外にある被昇天の聖母セーフホームに入れることにしたのである。

2017年のその日:マルタ、ビクトリアと娘達

2017年3月8日、警官は、反抗した罰として56人の少女を48平方メートルの教室に閉じ込めた。8時間後、ドアを開けてもらおうと、少女の1人がマットレスに火をつけた。警官はドアを開けなかった。

マルタは娘が病院に運ばれたと聞いた。しかしルーズベルト病院にもサン・フアン・デ・ディオス病院にも娘の名前は記録されていなかった。モルグに行くことにした。彼女が着いた時はまだほとんど誰もいなかったが、時間とともにもっと多くの人たちがやって来た。マルタは娘が中にいると感じたが、まだ希望は持っていた。娘の友人の母親が姿を現すまでは。この2人は子どもの頃からの友人で、同じ施設にいた。この時、世界が崩れたように感じた。もし娘の友人がモルグにいるのなら、娘もここにいるだろう。

同じ日。ビクトリアが夫や息子たちと昼食を終えた時、ドアを叩く音がした。弟と娘の叔母の一人であった。ひと目見るなり、何か悪いことが起こったのだとわかった。

「ニュースを見なかったの?」と娘の叔母が言った。
「見てない。役に立たないんだよ」ビクトリアは答えた。

ビクトリアはニュースを見るのが好きだったが、ケーブルテレビの信号がうまく入らず、ここ数日テレビは消したままだった。

ビクトリアはコップの中身を飲み終えた。弟は黙ったままだった。

「どうしたの、何があったの?」
「お前の娘のいる施設で火事があった。焼けてしまったのよ」と娘の叔母が答えた。

ビクトリアは信じなかった。小さい頃から、物事が起こる前には夢を見ていた。父や母や弟の死も事前に感じていた。だから夢を見るのが嫌いだった。

奇妙な感じだった。この時は何も夢を見なかった。娘の叔母が、ニュースでは負傷者はサン・フアン・デ・ディオス病院にいると言っていたと言うまで、娘は無事だと信じていた。その中の一人は娘の名前だったのである。

「家を出て、タクシーに乗り、病院へと行きました。外には泣いている母親がたくさんいましたが、中に入れてくれませんでした。たまりませんでした。とにかく中に入りたかった。そこにいるのがどの子かを知りたかったのです。私の娘なのかそうじゃないのか」。

*本件は係争中であり、トラブルを避けるために、登場人物の名前、出身地はすべて仮定のものです。